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〜ご案内とお誘い〜
来る5月18日、HRDファインアートのお隣の由緒ある御霊神社では、例祭「御霊祭り」のハイライト、神輿巡行が行われます。豪華絢爛で勇壮な神輿や牛車、鉾の行列を見物がてら、のんびり飲んだり食べたりしながら午後を過ごす会を、HRDファインアート+寺島みどりスタジオで開きます。 オープンスタジオではありませんが、アートについて、またアート以外のことについて、いろいろお話したり情報交換したりする場となればと思っています。 金曜日の平日ではありますが、お近くの皆様、お祭りの見物ついでにぜひお立ち寄りください。飲み物と簡単なおつまみをご用意してお待ちしております。 *** 《御霊祭りを楽しみましょうの会》 場所:HRD FINE ARTオフィス/寺島みどりスタジオ 京都市上京区上御霊竪町494-1 京都市営地下鉄「鞍馬口駅」下車徒歩1分/御霊神社北隣 時間:午前11時頃から午後6時頃まで ![]() ![]() *** Facebookのイベントページもご覧ください。 http://www.facebook.com/events/347151535349138/ (1)愛知芸大サテライトギャラリーの展示風景からのつづき。小牧の旧竹内邸・常懐荘での展示風景。
![]() 白河ノリヨリの作品。納戸の襖絵の意匠と奇妙にマッチした。 ![]() 洋間のパク・ヒョンジュ作品(右側の2点)と木村了子作品。 ![]() 洋館2階踊り場のイ・チオンの小品。 ![]() 洋館の2階の座敷を使用した安喜万佐子と林ケイタのインスタレーション。常懐荘の天袋の板戸に描かれている蝶をモチーフに、キャンバス地に金箔を施した切り抜きの蝶が回転台の上で回転する。そこにプロジェクターの光が当たると、回転する蝶の羽に反射した光がゆらめきながら室内を照らす。常懐荘の場所性を汲み上げ、金箔と光を効果的に活かした幻想的なインスタレーションになった。 ![]() 玄関口には木村了子のゲーム作品「常懐荘の兄弟(ふたり)」のスタートの説明とドローイング。これは、常懐荘に住む架空のイケメン兄弟に展覧会場を案内してもらうという設定で、兄弟それぞれの質問に対する答えを選択肢から選びながらゲームを進めていく。 ![]() これが「常懐荘の兄弟」のゲームの一場面。木村了子の作品と、ストーリーブックが設置されていて、自分が選んだ回答のアルファベットに合わせたストーリーブックをめくると、次の場面に進んでいけるようになっている。 ゴールまでたどり着くとハッピーエンド、ノーマルエンド、バッドエンドという3つのエンディングが待ち受けている(ハッピーエンドなら恋愛成就、バッドエンドなら残念ながら脈なし)。意外とたくさんの方がハッピーエンドを達成したようだ。 ![]() 2日間の展示の初日に行ったアーティストトークで、ゲーム作品について説明する木村了子。 ![]() スライドで作品制作プロセスについて説明する野口琢郎。スライドは電気ごてと硫黄を使って銀箔を焼いて変色させているところ。 ![]() アーティストトークは和室を2つつないで大広間のようにしたスペースで開催した。 天候にも恵まれ、2日間という短い公開ながら多くの方にご来場いただくことができた。この場を借りて感謝。 *** HRD FINE ARTウェブサイト http://www.hrdfineart.com/exb-gold2nagoya12.html facebook上のイベントページ http://www.facebook.com/events/297454866985757/ 会期終了からもうすでに2週間ほどたってしまったが、前回のブログで紹介したとおり名古屋と小牧の2会場でグループ展「GOLD EXPERIENCE 2〜金鯱によせて」を開催した。
名古屋の展示会場は愛知県立芸術大学のサテライトギャラリー。愛知芸大自体は名古屋ではなく長久手市というところにあるのだけれど、愛知県の県庁所在地である大都市・名古屋との関係性という観点から、このサテライトギャラリーを開設したと聞く。栄の繁華街の真ん中にあり、アクセスは至便。ただ、オフィスビルの3階にあり、なかなか外からはギャラリーの存在がわかりづらいのが難点だった。しかしスペースはクリーンで本道のギャラリーそのものといったところ。メインの展示室には平面を中心に、そして奥の会議室的なスペースには安喜万佐子と映像アーティスト・林ケイタのコラボレーションによる絵画+映像インスタレーションを展示した。 もう一方の小牧会場は、旧竹内邸・常懐荘という、昭和初期に建てられた当時の典型的な和洋折衷形式の住宅。こちらは、出品作家の小品を中心とした作品を点在させ、また安喜万佐子+林ケイタの絵画+映像インスタレーションも小規模かつサイトスペシフィックな常懐荘バージョンを展示。さらには木村了子による参加型恋愛シミュレーションゲーム作品「常懐荘の兄弟(ふたり)」が館内各所に展開した。オープニングの3月10日には参加アーティストによる作品解説のアーティストトークも行った。 以下、展示の様子などを写真でご紹介。まずは愛知芸大サテライトギャラリーから。 ![]() 展示室全景。 ![]() 反対方向からの全景。 ![]() 右2点がハン・ホの作品、左の3点が木村了子の作品。ハン・ホの作品は厳密な意味での「箔」は使用していない。いわば疑似金箔を使用したコラージュ作品。木村了子の作品の左2点は常懐荘での恋愛シミュレーションゲームとも関連している、「龍男」と「鯱男」。 ![]() 右2点がイ・チオン、左側がパク・ヒョンジュの作品。パク・ヒョンジュの作品は木製のブロックの上下左右の側面にテンペラ絵画の技法を用いて金箔を施し、照明による光の反射と影と、色面の組み合わせで空間を創出している。イ・チオンの作品は扱いづらい箔を敢えてコントロールせずにランダムに画面に散らすことで偶然性を含む絵画的効果を生み出している。 ![]() 右4点が野口琢郎の作品。箔の定着のために漆を接着剤として使用するという特殊な技法を用いている。左の2点は白河ノリヨリの作品。アルミニウム箔を下地としてその上に描画している。 ![]() 安喜万佐子と林ケイタのコラボレーションによるインスタレーション。 ![]() 金箔を使用した風景画12点の連作と、プロジェクターによって変化する雲の動きを捉えた映像を投影した壁面を対置させ、風景/光の変化が金箔の画面に与える変化を提示している。 (2)の常懐荘の展示風景につづく *** HRD FINE ARTウェブサイト http://www.hrdfineart.com/exb-gold2nagoya12.html facebook上のイベントページ http://www.facebook.com/events/297454866985757/ 2010年5月に韓国ソウルのHyun Galleryにて「GOLD EXPERIENCE〜日韓現代金箔絵画」というグループ展を企画・開催した。日本と韓国で、金箔や金属箔を画材として使用した絵画を制作している6人の作家の作品を展示する日韓国際交流展だった。当初から日本にも巡回開催する計画はあったのだが、準備に時間がかかり、約2年後となるこの3月に愛知・名古屋で開催できる運びとなった。
今回の「GOLD EXPERIENCE 2 〜金鯱によせて」には、2010年のソウル展の作家のうち、黄金背景テンペラでシュールレアリスム的な画面を描くソン・ジュンドクが参加できず、かわりに韓国から、絵画からインスタレーションまで幅広い発表を行っているハン・ホ、さらに日本人作家としては西陣織の箔の技法を絵画に応用した作品を制作する野口琢郎と、2人の作家が新たに加わり、総勢7名による展示となっている。 名古屋と小牧と、愛知県内の2会場で展示は行われる。名古屋の会場は愛知県立芸術大学サテライトギャラリー。名古屋の繁華街の中心に位置する栄にある大学の展示スペースで、ホワイトキューブと言ってよいクリーンな展示空間だ。 第2会場は小牧市にある歴史ある住宅「旧竹内邸・常懐荘」。昭和初期の典型的な和洋折衷様式で建てられた邸宅で、愛知産業大学の前身である愛知高等女子工芸学校の創設者である竹内禅扣(ぜんこう)の私邸だった文化財級の建物だ。襖絵や調度にも意匠が凝らされたこの建物を、3月10日と11日の土日2日間のみ、オープニング特別展示として公開し、小品中心に各所に作品も展示する。10日のオープニングレセプションではアーティストトークも予定している。 さらにこの2日間、常懐荘では、参加作家のひとりである木村了子による観客参加型のゲーム作品「常懐荘の兄弟(ふたり)〜出逢い編」も開催する。これはいわばリアル双六、あるいはシミュレーションゲームとも呼べるようなもので、木村了子作品に登場する「イケメン兄弟」が常懐荘を案内するというかたちで建物の各部屋を巡り、ゴールを目指す。木村は以前に「婚活♥双六」という版画作品を制作しているが、今回の試みはそれを体験的作品へと一歩進めたものになる。 常懐荘の外観と、ロビー部分はこんな感じ。どこか懐かしさを感じさせる建物だ。 ![]() ![]() この展覧会のメインテーマはもちろん「金箔」だが、もとより「金」や「箔」そのものの歴史的位置づけや象徴性の再考にとどまらず、画材や技法と表現テーマ・主題との関係性や相互連関、またさらにはデジタル/バーチャル時代における絵画の物質性(手触りや重さ、質感など)が持つ意味など、絵画と美術にまつわるより深く多義的な問いに向けての入り口となるような展覧会とすることを狙いとしている。 名古屋や愛知近辺の方はぜひご来場・ご高覧いただきたい。詳細はHRD FINE ARTのウェブサイトにて。 http://www.hrdfineart.com/exb-gold2nagoya12.html ![]() ![]() *** HRD FINE ARTウェブサイト http://www.hrdfineart.com/exb-gold2nagoya12.html facebook上のイベントページ http://www.facebook.com/events/297454866985757/
韓国ソウルのかつての王宮・景福宮にほど近いNext Door Galleryで、「砂の城をつくること(あるいは壊すこと)」というグループ展を開催している。
副題に「愛知県立芸術大学の作家たち」とあるように、今回の展示は愛知県立芸大とのコラボレーションで実現した展覧会で、同学に関わりがあったりゆかりがあったりする作家を韓国の地で紹介するという目的のもとに開催された。出品作家は倉地比沙支、栗原亜也子、大崎のぶゆき、白河ノリヨリの4名。栗原以外の3名は現在愛知芸大で教鞭をとっている教員でもある。 この4人の作家に共通する創作上の根本原理・関心事として、「砂の城」というキーワードを展覧会タイトルとしている。自らを取り巻く現実世界を、普遍・不変なものとして捉えるのではなく、うつろいやすい、あるいは懐疑の目を向けるべき、あるいは不安定なものとして捉えようとする態度、そしてそれを作品制作の出発点としているという部分で、4人の作家はゆるやかに結びついている。そのことを、あらがいがたい具体的な「かたち」を備えていながら限定的な実在性しか持たない「砂の城」という言葉に仮託して、展覧会のテーマとした。 例えば大崎は、絵画が溶けたり流れたりして変化していく様子を捉えた映像を中心に、時間性と現実認識、そしてその脆弱さ・不確実性を問う作品を発表している。 ![]() 倉地の版画作品は、写真のような表面の質感、手描きの線描の持つ有機性、悪夢的な形象、感情を排したモノクロームの画面など、相反する要素をさまざまに内包しつつ、現実に対する不安定な感覚を表現している。 ![]() 栗原の「Pictures」シリーズは、現実の生きた植物を前景に、描かれた植物を背景として、ともに写真に収めている。現実と虚構の間の境界の曖昧さを作品化していると言えるだろう。 ![]() 白河は、シルバーの金属箔を下地に施したキャンバス上に、光があふれ出したような空間を描出した絵画作品を発表している。ここには、視覚的な現実認識に不可欠な、しかしとらえどころのない「光」の存在を極限まで突き詰めようとする絵画への物質的なアプローチがある。 ![]() 「砂の城」をつくりあげ、そして壊す。さらにまた新たにつくり直し、それもまた壊す。バーチャル全盛の現代社会における現実との向き合い方についての多くの示唆を与えてくれる、そしてなおかつ美しい作品を揃えた興味深い展覧会になっていると思うので、ソウルにいらっしゃる方にはぜひご覧いただきたい。 最後に展示空間についてひとこと。Next Door Galleryは韓国の伝統的な平屋の家屋である「韓屋」を改装したギャラリーで、ロフトのある構造。聞けばここは築80年以上にもなるのだとか。決して広さはないながらも、変化のある魅力的な展示空間となっている。 ![]() ![]() ![]() *** 展覧会は2月12日まで開催中(月・火曜日は休廊)。 Next Door Gallery(ソウル)のウェブサイト: http://www.nextdoorgallery.co.kr/166 HRD FINE ARTのウェブサイト: http://www.hrdfineart.com/exb-castle12.html 3月の東日本大震災と原発の事故、9月の台風など、気の塞がる出来事が多かった2011年もそろそろ終わろうとしている。
一方、僕が大好きなサッカーではアジアカップ優勝、女子=なでしこジャパンはワールドカップ優勝、そして東北復興支援チャリティーマッチではキング・カズのゴールなど、心躍る出来事もたくさんあった。 これからも良いこと悪いこといろいろなことがきっと次々と起こるのだろう。それを全部乗り越えて、前に進んでいきたいなと、当たり前の思いを新たにさせられる年になった。そして、アートには(何かのためのツールではなく)アートそのものとして果たすべき社会的な役割があるのだということをしっかり伝えていきたいものだと、改めて考えているクリスマスの夜。 2012年もHRD FINE ARTをよろしくお願いいたします。
「風景の逆照射」という、いっぷう変わったタイトルの、いっぷう変わった展覧会が京都精華大学の学内ギャラリー「フロール」で年明けの1月6日から開催される。
この展覧会のカタログのテキスト翻訳をお手伝いしたので、ここに告知を兼ねて紹介させていただこう。 絵画作家の安喜万佐子や、自主ギャラリー兼共同スタジオ「STUDIO90」の森川穣、映像作家の林ケイタなども参加する現代美術の展覧会なのだが、「美術」という領域にとどまらず、建築家ユニット「RAD」や俳人、さらには脳科学者なども参加するという、かなりオルタナティブ感の強い企画である。 取り上げられるテーマは「風景」。ざっくりと言えば、人間と風景との関係性を再考しようという試みだ。日頃、何という疑問もなしに口にし目にしている「風景」という言葉(あるいはそのイメージ)に込められた歴史性や文化性を掘り下げ、そこに新たな「視点」を見いだそうという、かなり野心的かつ哲学的な展覧会と言えるだろう。アートについてまわる「見ること」と「感じること」の深淵に触れるうえでも興味深いテーマだ。 個人的には、俳句の余白と写真との表現上の関連性をテーマにした展覧会を企画したこともあるので、「俳句」と「風景」との関係がこの展覧会ではどのように提示されるのかに興味がある。 展覧会の詳細は以下のウェブサイトにて: http://www.ipp2011.org 1月6日には評論家・木下長宏氏(今回の展覧会の出品者でもある)の講演も予定されている。 絵画と映像と詩とインスタレーションと建築……ちょうど現在、展示作業のまっただなからしいのだが、どのようなスリリングな展示が見られるのか、楽しみだ。2週間程度と短い会期だが、お時間のある方はぜひ。 ![]() *** 「IPP #0 風景の逆照射」 京都精華大学ギャラリーフロール 2012年1月6日(金)〜21日(土) 11月19日からDEMADO PROJECTの第4回の展示「たまてばこ堂」が始まっている。
19日のオープニング当日は京都は朝からあいにくの雨。しかも結構しっかり降っていたのだが、オープニング・レセプションのはじまる夕方には幸いなことに雨も止み、HRD FINE ARTのオフィス(と居間)がいっぱいになるくらいの人にお集りいただくことができた。 ワインと簡単な軽食でささやかなおもてなし、熊本から設置にやってきた作家の川嶋久美を囲み、話もあちこちと飛び回って楽しい会になった。ご参加くださった皆様、ありがとうございました。 ![]() ![]() *** 今回の展示プロジェクト「たまてばこ堂」は、前回のブログでも書いたように、いろいろな人の最高の思い出を集め、それを川嶋がつくる「たまてばこ」に封入する。さらにそれが他の人の手に渡ることによって、「目に見えない」記憶の交流を生み出す、ということが意図されている。 架空の商店「たまてばこ堂」のショーウィンドウで現在展示されている「たまてばこ」にも、実際にすべて誰かの「一番の思い出」が封入されている。もちろん、作家自身もその内容を見てはいないので、何が書かれているのかを知っているのは書いた本人だけ。そして、書いた本人は自分の「思い出」がどの箱に入っているのかを知ることもない。オープニング・レセプションに来ていただいた方々からも「思い出」の提供をいただいたが、これは新たにつくられる「たまてばこ」の中に納められ、今回とはまた別の機会(「たまてばこ堂第2号店?」)に展示・販売されることになる。 「たまてばこ堂」では「たまてばこ」を1,000円で販売しているのだが、「思い出」を提供した人だけが購入できるという条件にしているので、「購入」というよりも「交換」と呼んだほうがより正確かもしれない。封印には作家のサインと通し番号をつけて、マルチプル作品としての性格も持たせている。 アート作品を買うと、それをどのような時・季節に、どのような状況で(どの展覧会で?)、どこで買ったのか(どのギャラリー?)、といったことの記憶がその周囲に漂うことになる(もちろんそんなことはすっぱり忘れてしまうケースもあるだろうが)。これはアート作品に限ったことではなく、お土産や本やその他の何でも同じことが言えるのだが、「たまてばこ」の場合、そういった外的要素に加えて、自分が書いた「一番の思い出」という「内的要素」が、間接的に、しかし常に密着して存在し続けることになる。自分の思い出は別の箱に入っていてここにはないにもかかわらず、だ。見知らぬ他人の思い出が入った「たまてばこ」を持ち続けることで、自分が書いた「一番の思い出」が(一言一句正確にではないにせよ)鮮明に意識の中に残り続けることになる。 何か非常に不思議なことが起こっているように見えるのだが、それほど奇異な現象ではないのかもしれない。 というのも、「記憶」とは本来とてもあやふやで曖昧なものだ。昨日会った人がどんな服を着ていたか、正確に思い出すのは至難のわざだろう。だから我々は、写真や日記やお土産や記録に頼ったりするのだが、それは「記憶」そのものとはかけ離れた「もの」あるいは「情報」にすぎない。素晴らしい出来事を体験して、「このことは一生忘れない」とそのときには思っても、あとになってみれば別のどうでもいい出来事の細部(何年も前に訪れた外国の空港で、目の前でスーツケースにつまづいて見事に倒れたどこかのおじさんのセーターの柄とか)のほうが鮮明に憶えていたりする。 川嶋久美のこれまでのインスタレーションやワークショップでも、記憶や想像(あるいは空想)に対する視点が基本になっている。川嶋が作品ファイルに記した言葉がとても示唆的だ。「美術の時間、私は紙が真っ白なままでいることが長い子どもでした」。本来目には見えない頭の中の働きを、ある一定のルールで視覚化し、提示する。そのときに働く感情や、思い描いたものと実際にかたちになったものとのズレや違和感を認識することは、我々が普段当たり前に捉えている「見ること」や「思い描くこと」の当たり前さを鮮やかに揺り動かしてくれる。 ![]() ![]() ![]() *** 展示は12月28日まで。 DEMADO PROJECT「たまてばこ堂」のウェブページ http://www.hrdfineart.com/demado/04tamatebako.html 「たまてばこ堂」プロジェクトへの参加にご興味のある方はinfo@hrdfineart.comまでメールにてご連絡ください。
当オフィスのウィンドウギャラリーの展示プロジェクトDEMADO PROJECTの第4弾として、熊本在住の作家、川嶋久美による「たまてばこ堂」を来週末からオープンする。
熊本・河原町で月1回開催される「アートの日」での展示など、サイトスペシフィックなインスタレーションや観客参加型の展示を活動の中心としている川嶋久美。河原町では「たろ」というアーティストネームで発表しているが、今回は実名(?)での発表となる。 もう1年以上前のことになるが、昨年10月の「河原町アワード」で「HRD賞」に選ばせていただいたのがこの作家との縁のきっかけだった。 当初、HRD賞の副賞として、ソウルの狭小アートスペースでの展示プロジェクトの企画・コーディネートということを考えていたのだけれど、これがソウル側の態勢がなかなか整わず、実現にいたるまでにまだまだ時間がかかりそうなので、その前にDEMADO PROJECTでの展示をオファーすることにした。つまり、今回の展示は「河原町アワード2010」の一部であり、延長にあると言ってもよいような企画なのだ。 昨年の河原町アワードでの川嶋の作品は、ビニールでつくった透明な服をハンガーで頭上にいくつも吊るし、その服から抜け出した様々な色がカラフルな雨となって降る様子をジェル状の雫で表現したインスタレーションだった。もともと繊維問屋街だった河原町の歴史と、そこから現在のアートの街への変貌と、変化する時間を視覚的に表現する試みだ。 ![]() ![]() イラスト的な作品やクラフト的な作品が過半数を占める河原町アワードの出品者たちの中にあって、川嶋のインスタレーション展示は常に異彩を放っている。河原町という強烈な場所性を汲み取ったり、「アートの日」という非日常の祝祭的な感情を切り取ったりと、野心的な展示をいつも見せているが、「アートの日」のイベント性が逆に窮屈さを生んでいる印象も、川嶋の作品に限って言えば正直なところ受けていた。 そんな彼女が、京都の街で、町家のウィンドウギャラリーというこれまた特殊なセッティングの中で、どのような展示を構成し、展示するのか、これはとても興味があった。いくつかのアイディアを意見交換する中で彼女から出てきたのが、「浦島太郎の玉手箱を売る店」というプランだった。 京都の町家が持つ歴史的背景から引き出された「架空の店」という設定、時間を封じ込めるということの空想性、決して開けてはいけない箱という物語性、観客の参加など、川嶋のアーティストとしての特徴がよく発揮された展示になるのではないかと期待している。 詳細はDEMADO PROJECTのページに情報を掲載しているのでそちらをご覧いただくとして、ここでひとつお願い。このプロジェクトには観客の参加が欠かせない。お時間がある方は11月19日のオープニングレセプションにぜひご参加いただき、玉手箱に入れる「思い出」の提供をお願いしたい。また、レセプションに参加できないという人でも、郵便等でのやりとりでプロジェクトに参加していただくことは可能なので、ご興味のある方はメール等でお問い合わせいただきたい。 ![]() *** DEMADO PROJECTのウェブページ http://www.hrdfineart.com/demado/dtop.html facebook上のDEMADO PROJECTのページ http://www.facebook.com/pages/Demado-Contemporary-Art-Project/139676042758086
(2)からのつづき
前回の(2)で「(3)につづく」と言いながら、雑事に追われて永らく更新できずにいたので(まだまだ落ち着いて詳細の分析をレポートできる状況ではないのだが)、当面のつなぎとして(最近なんかこんな台詞ばかり書いているような気もするが)、河原町アワードに引き続いて開催された「アートは熊本の未来に何をもたらすか」と題した座談会について、会場の様子の写真を中心にしてご紹介したい。 座談会の会場となったのは、河原町からほど近い「早川倉庫」という木造2階建ての大きな建物。もともとは醸造所の一部として使われていたようだが、現在は倉庫として、またこのようにイベントの会場として活用されているらしい。大きくて立派な梁が見事な、味わいのある建物だ。 熊本市の幸山政史市長とアサヒビール芸術文化財団局長の加藤種男氏(河原町アワードのゲスト審査員でもあった)の2人の対談を中心に、会場の参加者(100名近くになっていたのではないかと思われる)にも意見を求めたり、アンケートをとって発表したり、という構成で進行していった。 冒頭、市長のスライドプレゼンテーションは残念ながら(2)に書いた理由で拝聴できなかったのだが、全体のテーマとしては、「文化創造都市」をキャッチフレーズとしたまちづくりを推進している熊本市における都市戦略のあり方について、その中でのアートプロジェクトの位置づけについて、様々な角度から考えてみようという設定がなされていたようだ。 市長のプレゼンテーションに続いて行われた、加藤氏のスライドプレゼンテーションの様子。 ![]() ![]() その後、休憩を挟んで、後半は熊本市内で市民参加型の(いわゆる町中活動的な)アートプロジェクトを展開している各団体の紹介があり、さらには会場の参加者にも意見を求めながらのディスカッションが行われた。熊本がどのような街を目指していくのか、その中でアートが果たすべき役割は一体何なのか、というような茫漠たる問いに向かって多種多様な意見が出されていた。 その中では、「プロのアーティストとして生きるというのはどういうことか」とか、「アーティストを経済的に支える仕組みは可能か」といったような問題提起もなされたりして、自分がいつも考えている問題を再度整理する必要を感じながら聴かせてもらえたので、僕にとってはとても有意義な時間となった。 ![]() ![]() *** 今回の座談会でも、また昨年の「九州アートマン会議」でも提出されることのなかった、しかし非常に重要な視座がある。ここで、簡単な思考メモとしてその問題をまとめてみたい。それはすなわち、アートプロジェクトを「サポート」する立場の行政サイドと、実際のアートプロジェクトを運営管理する側と、またそこに参加して制作や発表活動を行うアーティストと、この3者を共通のベクトルに束ねることは、実は非常な困難さを伴い、ほとんどの場合不可能なのではないか、ということだ。 ここでの第3身分=アーティスト(広い意味で捉えるとデザイナーやイラストレーター、職人などの製造業者的クリエイターも、ファインアートの作家やミュージシャンやダンサーなどの表現者も含まれるのだが、前者については表現活動を行うアーティストというよりも業者や企業と考えたほうがこの場合には妥当であり、発注・受注関係で主体性なく行動する「業者」は上記の3者のいずれの「主体」にもあてはまらないので除外して考えたい)は、個人的な動機に基づいて表現を行う、いわば恣意的な活動主体というのが本来の姿であって、まちづくりなどのコミュニティ活動にコミットすることのメリットは、あくまでも個人的な目標達成に利用できるかどうかということでしか判断できないということを理解しておかなければならない。 もちろんコミュニティとの関わりをベースとした表現者も存在するが、数から言えばそれはあくまでも少数であり、それらのアーティストにしたところで(公務員ではないのだから)コミュニティ活動の成果を自らの作家活動の成果よりも上位に据えているわけではない。言い換えれば、地域が活性化すれば、自らの名声や活動の評価など二の次、などと考えられるアーティストは(定義上)存在しないということだ。定義上、というのは、もしもそのように主張するアーティストがいるとしたら、それはアーティストというよりも社会活動家として定義されるべきだからだ。あるいは、この場合に限って言えば自主的公務員的活動家と名付けてもよい。それを敢えてアーティストと呼ぶならば、それはアートプロジェクト専用、あるいはまちづくり専用・まちおこし専用のアーティスト、ということになるだろう。 アーティストがコミュニティの再生や活性化に寄与する活動に参加することのメリットは何なのか? 繰り返しになるが、それは、アーティストの個人的な成功につながるような社会的な露出を得られる、あるいはその可能性がある、ということでしかない。そしてその活動は、行政のサポートを得る限り(つまり税金による裏付けを得る限り)において、あくまでもPC(ポリティカル・コレクトネス=政治的に適切であること)の範囲を逸脱できない。当然ながら社会規範に挑戦するような表現も、政治的に強い主張を帯びた、偏向した表現も許容されないだろう。ということはつまり、去勢された、あたりさわりのない、面白みのない表現しか生まれてこない、ということになるのだ。それは果たして社会が「アーティスト」に求めるべき役割なのだろうか? もちろんここに述べたようなことはあくまでも理屈の上のことであり、個々のアーティストはこうした状況下でもうまく身を処す方法を心得ている。アートプロジェクトが社会的要請に合致するように提示するベクトルに、表面上、ベクトルを合わせてみせることなど軽々とこなせるアーティストも多いだろう。表面上のベクトルは、しかしあくまでも表面上のベクトルでしかなく、本質的なベクトルの方向とはあまり関係がない。そして、少し飛躍するようだが、この本質的なベクトルのズレから「利用」と「搾取」の関係が生まれてくる。 *** 河原町の「アートのまち」の活動についてのレポートから内容がどんどん離れてしまうので、「思考メモ」についてはこのあたりにとどめておきたい。まだまだ整理が必要なテーマなので、また機会があればこの問題については突き詰めていきたい。 いずれにしても、「アートは熊本の未来に何をもたらすか」という今回の座談会の問いは、そのまま「熊本」を様々な地域に置き換えて、あるいは「日本」に置き換えて、より根源的な問いへと思考を深化させていくきっかけになるのではないかと思った。いや、ぜひともそうしていかなければならないと感じている。 「熊本・河原町で何が起こっているか」の項、ここでいったん了
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