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美術館にアートを贈る会
もちろんアートに対してはいろんな考え方があっていいし、いろんな関わり方があっていい。しかし、「伊庭靖子さんの絵画作品を、美術館に贈りましょう!」というキャッチコピーが踊るチラシを目にした時に感じた底深い違和感については、やはりひとことふたこと書いておかなければならないと思う。
作品寄贈というのは日本でも海外でも美術館のコレクション形成において大きな位置を占めている。コレクターが死後または生前にすべてのコレクションをある美術館にまとめて寄贈することもあるし、作家が自らつくりためた作品群を主に地元の美術館に寄贈または寄託することもある。美術館が作家または画廊から作品を購入する場合、1点は購入するかわりに2点目、3点目を寄贈という形で、つまり無償提供を要求することもある。もちろんいずれの場合にも(少なくとも日本の公立美術館の場合)寄贈を受け入れるかどうかの審査があり、美術館側の主体的な判断が(少なくとも建前上は)働くことになる。 これが美術館と寄贈というテーマの基礎知識だ。そこでこの「美術館にアートを贈る会」についての考察に移ると、まずこの名称から一見して想起できること、つまりコレクターが自分のコレクションの中の作品を美術館に寄贈しますという活動ではない。会員を募集し、資金を募って、アーティストから作品を購入し、そしてそれを美術館に寄贈する提案をする、というのが大雑把な活動内容であるという。以下上述のチラシからの引用。 「当会は、アートの好きな私たちが、美術作品を選定しその作品の所蔵者としてふさわしい美術館を見つけ、受け入れを交渉し、協力者を募って皆で寄贈をする……(中略)……私たち市民がこんな作品をもってほしいと、美術館に積極的にアートを贈っていくことで、美術館が市民のための役割をこれまで以上に考えるきっかけになればとも願っています……(以下略)」 僕はこの文章を読んで「プロ市民」という言葉を(ネット社会で使われるこの用語の正確な意味はよくわからないけれど)思い浮かべてしまった。 底深い違和感を生み出しているキーワードは、間違いなく、「アートの好きな私たち」という言葉と、「私たち市民」という言葉だ。アートは特別なもの、それに関わる私たちも特別な存在、という選別主義と、アートはみんなのもの、社会全体の共有財産でなければならない、という平等主義が、無邪気に(しかし巧妙に)同居しているところに、美術に関わる仕事をしている者として感じる居心地の悪さがある。ここには「市民運動・社会活動」というベールをかぶったエリーティズムがうごめいていないだろうか? 例えば伊庭靖子の作品を(チラシ裏面の説明によるとマーケットプライスよりもかなり安い「特別価格」で購入し)寄贈しようとしている先は滋賀県立近代美術館だが、この寄贈に参加するための要件として、滋賀県民であることも滋賀県に関わりがあることも求められてはいない。一方、「贈る会」に参加していない(またする気もない)滋賀県民にとって、そもそもの伊庭靖子の作品の選定と決定の是非に係わる機会も、これに疑義を唱える場も与えられていない。「美術館が市民のための役割をこれまで以上に考えるきっかけ」というときれいに聞こえるが、実態は「アートの好きな私たちが、あなたのところの美術館にふさわしい作品を選んであげるから、ありがたく見に行きなさい」ということにすぎないのではないだろうか。美術館から「贈る会」に、決定権が少し委譲(あるいは放棄)されたというだけの話なのではないだろうか。 「アートの好きな私たち」と言っているうちはまだいいのだろうが、これが「私たちの好きなアート」にすり替わってしまうということは結構簡単に起こりうる。いや、むしろこのすり替えは「贈る会」の発足当初から、会の趣旨そのものにすでに組み込まれていると見るべきなのだろう。そして、そこにこそすべての違和感の根っこがあるのだ。 「美術館にアートを贈る会」ウェブサイト http://www.art-okuru.org/
by hrd-aki
| 2010-07-26 02:58
| 雑感
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