東京というのは絶え間ない変化によって自らを支えている都市なのだと改めて思う。変化そのものがアイデンティティというか。
以前務めていたギャラリーが移転前にあった京橋(大阪の京橋ではない)を通りがかったのだが、中央通りと鍛冶橋通りの交差点の2区画の古いビルが取り壊され、更地になっている。どちらも大きなビルが建っていた広い敷地だ。東京駅再開発の延長で新しい高層ビルがにょきにょきと建つ予定らしい。確か映画美学校も入っていた、結構重厚で威厳のある昭和建築の雑居ビルも、今は跡形もない。
京都に住みはじめてから時々東京を訪れると、全く別の価値基準がこの新旧の首都を律していることがビビッドに感じられるようになった。2つの都市が、お互いを補完するように、「変化」と「保存」というそれぞれの役割を極端なかたちで遂行しているようにも見える。
個人的には東京のダイナミックさ、容赦のなさが好きで居心地も良いのだけれど、東京には古いものが残っていないかというとそういうわけでもなく、そのバランス感覚がわかっているから安心して変化を受け流し噛みこなせるということもあるのかもしれない。
「古きもの」=「良きもの」では必ずしもないということ、「保存」も「変化」の一形態にすぎないということ、などなどについて思いを巡らせている。