自民党・公明党連立政権による「日本学術会議の会員候補の任命拒否」に抗議する。
これは単なる政治的な手続き上の問題や法的な技術論ではなく、学問を、知を、そしてひいては芸術文化をいかにして守り育てていくかという、社会の存立に関わる問題だと考えているから、こうしてブログにも書くことにした。
日本学術会議は、そもそも、先の戦争における日本軍・日本政府の破壊と殺戮に協力してしまった学術界の反省をもとに、政権政府から独立した純粋に学問的な立場で活動・提言を行うことを目的とした組織だという。
菅義偉による今回の6名の候補の任命拒否は、こうした歴史的背景をないがしろにし、「科学者コミュニティの戦争協力への反省」を無に帰そうとする企みであり、「再び同様の事態が生じることへの懸念」を当然のように抱かせるものだ。その意図は明確に、戦前回帰・軍国主義復活にあると言えるだろう。仮にそうした意図は全くないのだとすると、我が国の総理大臣はただのバカだということになる。いずれにしても看過できることではない。
アートの活動は学術活動そのものではないが、限りなく近接している。学びがなければ創造も想像もできない。空気のように自由と自律を必要としている点でも芸術と学術は共通している。何を教え、何を学び、そして何をつくるかについての自由がなくなったら、それこそ社会は死ぬだろう。僕自身、ここ数年時々大学で教える仕事をさせてもらうこともあり、学術界の隅っこにいる者としての自覚もあるが、政府や政治家から「これは言うな、これを言え」と指図を受けるつもりは毛頭ない。そんな小さな自由を守ってくれているのが学術会議なのだ。
私には関係のないことだ、と思っているアーティスト、アート関係者がいたら、考えを改めたほうがいい。今は他人事として軽く受け流して済ませられるかもしれないが、きっといつかあなたの身にも降りかかってくるから。その時になって慌てても間に合わないよ。