人気ブログランキング |

京都・鞍馬口の現代美術ギャラリーHRD FINE ART(www.hrdfineart.com)のディレクターによるアート関係諸々ブログ。時にはアートと無関係な話題もあります。気が向いたら更新。
by hrdfineart
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30
カテゴリ
全体
ギャラリー
展覧会企画
アーティスト
イベント
レポート
雑感
おしらせ
未分類
以前の記事
2019年 09月
2019年 08月
2019年 07月
2019年 06月
2019年 05月
2019年 04月
2019年 03月
2019年 02月
2019年 01月
2018年 11月
2018年 10月
2018年 09月
2018年 07月
2018年 06月
2018年 05月
2018年 04月
2018年 03月
2018年 01月
2017年 12月
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 09月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2014年 08月
2013年 12月
2013年 10月
2013年 08月
2013年 05月
2013年 01月
2012年 09月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
最新の記事
「アートフェアアジア福岡20..
at 2019-09-13 02:26
「アートフェアアジア福岡20..
at 2019-08-10 22:41
清州訪問記 (2)
at 2019-08-10 04:17
清州訪問記 (1)
at 2019-08-10 03:41
タクシードライバー・イン・ソ..
at 2019-08-07 15:00
最新のトラックバック
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧


カテゴリ:雑感( 43 )

「アートフェアアジア福岡2019」に参加して考えたこと

昨年に続いて今年も、福岡で開催されたアートフェア「アートフェアアジア福岡」に出展した。昨年同様、ソウルのSpace O'NewWallとのジョイントで、「HRD+ONW」としての参加だった(詳しくはこちらを参照)が、多くの方々に熱心に作品をご覧いただき、良い出会いもたくさんあり、様々な反応や感想にも触れることができた、忙しくも楽しく充実した3日間となった。

今回が5回目の開催となる「アートフェアアジア福岡」。アジア各国とのアクセスの良さでは日本の中でも屈指の福岡という都市で開催されるアートフェアで、「アジア」と銘打つこともあり、アジアの様々なギャラリーやアーティストが出展・出品していることを期待してしまうのだけれど、今回は日本以外のアジアの国からの出展ギャラリーはHRD+ONWを含めても6軒にとどまっていた(ソウル2、台湾2、香港1、シンガポール1)。

昨年も決して数は多くはなかったけれど、ここまで少なくはなかったと思う。これには様々な要素が絡んでいるのだろうけれども、日本がアートにおいてもマーケットとしての魅力を失いつつあるのではないかと思うとやはり寂しい。あるいはすでにそれは失われてしまって久しいのかもしれないのだが。

そして、韓国からの出展画廊が2軒にとどまったというのは、やはり昨今の日韓関係のこじれとも無関係とは言えないだろう。現に、Space O'NewWallのディレクターのソ・ジュノがフェイスブックに今回の福岡への出展について投稿すると、日本のアートフェアに参加したことを非難するようなコメントが(少数とはいえ)いくつか付いたというから、これは深刻な事態なのだ。日本製品の不買運動なども起こっている状況下で、そのようなポーズを取ることがあるひとつの社会的アピールになっているという部分もあるにせよ。

とはいえ、HRD+ONWのブースで実際に作品をご覧いただいた方々からは、ネガティブな反応は(少なくとも表立っては)全く、ひとつとしてなかったことは明記しておきたい。今回、Space O'NewWallの作家として3名の画家(キム・ヒョンジョン、キム・ユンソプ、チャン・コウン)の作品を展示したが、それぞれ作品や作家に対する関心も高く、好意的な反応がたくさんあり、販売に至った作品もあった。当たり前といえば当たり前なのだけれど、政治的な対立があろうがなかろうが、アート作品の質が変わるわけではない。そんな当たり前のことを当たり前に実感することができたのが、今回の最大の収穫だったのかもしれない。

会期初日、某全国紙の記者の方に簡単な取材を受けた。こういう状況で、韓国から日本にやってきて展示をすることについてどう感じているか、という質問に対して、ジュノは「政治的なこととは関係なく、アートを通じて両国の交流を深めることに貢献できれば」というような答えを返していた。

このインタビューはどうやら記事にはならなかったようだけれど、その「貢献」は、今回の出展を通じてある程度果たすことができたのではないかと思っている。そしてそれを可能にしてくれた、ご来場の観客の皆さん、作品を出品してくれた日韓の作家の皆さん、そしてもちろんフェア事務局の皆さんに、この場を借りて改めて感謝を申し上げたい。

***

作品展示の様子をいくつかご紹介。

a0123573_02113837.jpg

a0123573_02113826.jpg

a0123573_02113842.jpg

最後に記念撮影。左から筆者、Space O'NewWallディレクターのソ・ジュノ氏、同スタッフのカン・サンフン氏。

a0123573_02113805.jpg

by hrd-aki | 2019-09-13 02:26 | 雑感

タクシードライバー・イン・ソウル (2)

数年前に「タクシードライバー・イン・ソウル」という記事でソウルのタクシードライバーと政治談義(?)をした話を書いた。今回はその続き、というわけではないけれど、ソウルのタクシードライバーの話、第2弾。

7月頭のソウル出張では、タクシーに2回乗った。日本に比べると料金が圧倒的に安いので(大体3分の1くらい)、躊躇せずに乗ってしまう。そしてその2回とも、乗客が日本人だと知った運転手と会話を(ほぼ韓国語で)かわすことになった。これは日本のタクシーでもそうだけど、乗客と話をするのが好きな人もいるし、そうでない人もいる。ひたすらにラジオを聴いてるだけの無口な運転手ももちろんいる。今回はたまたま2回が2回とも話好きな人に当たった、ということだろう。

最初は滞在2日目、マポでカンジャンケジャンの昼食をとってからいったんホテルに戻るために乗ったタクシー。このタクシーのドライバーはこれまでに会ったことがないようなタイプのとても不思議な人で、こちらが日本人だとわかると「オレは韓国が嫌いでね。日本人はいい!」と日本をべた褒めし始めた。お世辞なんだろうと思って、こっちも「でも僕は韓国好きですよ」と返すと、「いや、韓国は悪い。韓国人は嘘が得意だ。日本人は嘘をつかないでしょう」と、これまた事実誤認いっぱいの日本称賛のオンパレードになってしまった。もちろんこれ全部韓国語での会話。

たとえお世辞9割だったとしても、自分の国が褒められるのは悪い気はしない(以前にも「日本人は頭が良い、世界で一番頭が良い」と繰り返すドライバーのタクシーに乗ったことがある)。でも、この人はちょっと度が過ぎているように思えた。生活など、いろいろ苦しい思いをしているのかもしれない。社会に対する不満を抱えているのかもしれない。あとになって、もしかすると脱北者なのかもしれないな、などとも想像を逞しくしたりもした。

もちろん実際のところ、何が彼をしてそのように自国嫌いを外国人に吐露させることになったのかはわからないけれど、こっちとしては「そうですねえ、韓国ダメですねえ」と話を合わせるわけにもいかないし、それ以降はあまり会話は弾まなかった。降りるときも笑顔で、とても親切なドライバーさんだったのだが、何か深い闇を心に抱えているのかもしれない。

その翌日、イテウォンで夕食をとってからホテルのある東大門まで帰るために乗ったタクシーでは、まず「え、もう帰っちゃうの(ホテルに戻っちゃうの)?」というドライバーのちょっとした冗談から会話が始まった。イテウォンは今ではソウルでも有数の眠らないナイトライフの街。しかも金曜の夜、まだ10時頃だったので、これからが盛り上がる時間なのにもったいない、という軽口だ。

数秒間考えてやっとそのジョークが理解できたので、同行者に日本語で説明していたら、「日本人ですか?」となり、「東京から?」「いえ、僕は大阪から、この人(同行者)は名古屋から」「大阪は韓国人に人気があるよ、韓国人がたくさん行ってるよね」といった感じで、会話はいろいろな話題に及んだ。「日本人の客を乗せることは多いですか?」と訊くと、「多いよ!」と即答。ソウルにはカジノが4カ所あって、日本人もよく訪れるとか、韓国人も遊べるのは江原道のカジノだけだとか、自分は大阪と東京に行ったことがあって、日本が好きだとか(「寿司、刺身、ラーメン」)、北海道も韓国人に人気があるとか(最初「プッケド」と言われて一瞬何のことかわからなかったけど、頭の中で発音を漢字に置き換えてようやく理解できた)。前日のドライバーとは違って、あくまでも陽気でサービス精神に富んだ人だった。運転はすさまじく荒かったけれど。

片言ではあっても韓国語で会話ができると、こういうふうに普通に生活している人の普通の声を知ることができるのがとてもありがたい。いま日韓関係(というか政府間関係)がギクシャクしていているけれど(というか日本側が一方的に駄々をこねてるだけだけど)、こういう実体験の実感があるので「まあ、どうってことないよ」と思えるし、これからも日本と韓国をアートでつなぐ仕事をしっかりやっていかなきゃなと思うのだ。

***

写真はマポの有名店で食べたカンジャンケジャン(ワタリガニの醤油漬け)と、カフェで食べた超甘いピンス(かき氷)。

a0123573_14430977.jpg

a0123573_14440011.jpg

by hrd-aki | 2019-08-07 15:00 | 雑感

火車頭トーマス

今日は京都と大阪でたくさん電車に乗った。

京都地下鉄では、国際会館で何かイベントでもあったとみえて車内はスシ詰めの満員。京都のセラミック的な会社の社章バッジをつけたスーツ姿の男がちらほら見えたので、京都のセラミック的な会社の関連の何かがあったのかもしれない。そのうちのひとり、いい年したおっさんが満員の車内にもかかわらず中途半端なポジショニングでシートの2人分のスペースを占拠し続けていた。京都のセラミック的な会社の金ピカのバッジを光らせてても、スマホ2台使いこなしてても、それじゃ人間としてダメだ。よっぽど一声かけようかと思ったけどセラミックで殴られたら痛そうなのでやめておいた。

そしてJR環状線もかなりの混雑。大学生とおぼしき若い男二人がシートに座っていて、赤ちゃんを抱っこして立っている若い母親と「赤ちゃんかわいい」とかなんとか談笑している。男二人は馬鹿面でずっと座ったまま。赤ちゃんの母親はずっと立ちっぱなし。しかもそばには赤ちゃんの祖父母とおぼしき老夫婦も立っている。でもとにかく若い男二人は座ったまま。ひとりは足まで組んでる。

何駅目かでその男二人の横に座っていた中年女性が降りて席が空き、赤ちゃんと母親が座れるかなと思ったその瞬間、僕の隣に立っていたドラッグクイーン(あるいはドラッグクイーン風のおばさん)がシャコのパンチなみの素早さでそのスペースに飛び込んできて着席、すぐに寝たふりを始めてしまった。

数駅後、大阪城公園で馬鹿者、もとい若者二人は降りていった。最後まで「自分たちが席を譲ったほうがいいのかもしれない」という想像は働かなかったようだ。ドラッグクイーン(もしくはドラッグクイーン風のおばさん)のほうはほんとに疲れてそうだったし、マスカラもひどい状態だったので、まあ仕方ない。

いろいろひどすぎて気分が悪いので自宅に帰って缶ビールを3本も開けてしまった。日本っていつからこんな国になっちゃったんですかね。前から?

あ、タイトルの「火車頭トーマス」というのは香港のテレビで見た「きかんしゃトーマス」の広東語タイトル。同じ漢字を使っていても言語が違うので違和感があるのは当たり前だけど、それにしても「火車頭」という語感は日本語的にはちょっとすごい。本文の内容とはほとんど関係ありません、あしからず。

by hrd-aki | 2019-04-13 23:56 | 雑感

配達にまつわる絶妙なタイミング

昨日の出来事。

Amazonで買ったプリンタインクカートリッジの再配達を午前中の時間指定で依頼して八尾の自宅で仕事しながら待っていたら、11時55分くらいに携帯が鳴った。出てみると佐川のドライバーで、「いまお宅の前に来てるんですけど、ご不在ですよね? 呼び鈴鳴らしたけど出られないので」という。いや、家にいるけどベル鳴ってないよな、呼び鈴壊れたのかな、それに不在票入れてたのは佐川じゃなかったよな、おかしいな。

と思いながらも「ベル鳴ってないですけど、今いますよ、出ますね」と答えて電話を切り、玄関のほうにいくと「ピンポン」とベルが鳴る。

なんだ、ベルが壊れてたわけじゃないんだ、と思いつつドアを開けて出てみると、やはりAmazonの配達で、佐川ではない別の配送業者さん。どうしてさっきは「佐川です」って言ったのかな、佐川の下請もやってて間違えたのかな、しかもこのドライバーさんの声は電話の声と明らかに違う気がするよな、などといろいろ不思議に思いながら荷物を受け取り、部屋に戻るとまた携帯が鳴る。さっきの佐川のドライバーさんの番号だ。

あれ? あっ……そうか!

ここでようやく状況が理解できた。佐川が荷物を届けに来ていたのは今いる自宅ではなく京都のギャラリーのほうだったのだ。来週20日からの展覧会の展示作品が今日の配達日指定で発送されていたのだけれど、今日は京都には行けないので配達日変更の手続きをしなければならない、ということをすっかり忘れていた。佐川は京都のギャラリーのほうに配達に来て、指定の配達日なのに誰もいないので携帯に確認の電話をしてきた。それを僕が八尾の自宅のAmazonの再配達の連絡だと勝手に思い込み、勝手に混乱してしまったというわけだ。

「京都のほうですよね、勘違いしてました、『いる』って言いましたけど、今日はいません、別の日で再配達お願いします」とあわてて佐川のドライバーさんに伝えて電話を切った。

佐川ドライバー氏も「何言ってんだこの人、大丈夫か?」と思っただろうけど、こっちもあまりの絶妙なタイミングでの出来事に現実と非現実のBoundaryを越えてパラレルワールドに迷い込んでしまったかのような気分だった。今でもなんだかちょっと気持ち悪い。

a0123573_13111504.jpg

***

というわけで、次回展覧会「Boundaries」は4月20日(土)から。ぜひご覧ください。

by hrd-aki | 2019-04-12 13:22 | 雑感

ジェビ襲来

日本各地に大きな被害をもたらした台風21号(国際名は「Jebi/ジェビ」)。台風一過の今日、ギャラリーの様子を確認するために自宅のある八尾から京都・鞍馬口までを一般道で車で走ってみた。いつもと同じように、行きは主に国道2号線と国道1号線、帰りは国道1号線のバイパスと国道2号線を通るルート。

昨日は自宅のそばでもケヤキや桜やヒマラヤスギやエンジュの木が何本もなぎ倒されて、改めて強風の威力のすさまじさを思い知らされていたところだったけれど、今日の道中でもたくさんの木が根元からひっくり返り、枝が折れ、そして作業員の方々がチェーンソーで倒木の撤去を急いでいる光景をいくつも目にした。ちらっと通りかかった淀川(大川?)の水位も見たことのない高さになっていたし、枚方のあたりでは信号がことごとくおかしな方向を向いていて、警察官が交通整理をしている交差点もいくつかあった。途中でいくつか立ち寄ったコンビニでは、お弁当やおにぎり、サンドイッチなどが全て消えていて「台風の影響で商品の配送ができていません」というような張り紙が掲示されている店舗や、おそらく停電で温度管理ができなくなったためだろう、アイスやドリンクのコーナーがほぼ空っぽになっている店舗もあった。

で、鞍馬口のギャラリーはというと、2階の窓につけているすだれが1枚を残してすべて吹き飛んだり落下していたり(1枚はおそらくご近所の方が回収して近くに置いておいてくれていた、ありがとうございます)、出窓のガラス窓が外れて中に押し込まれていたり、あと停電のせいで冷凍庫の氷がいったん溶けてまた固まって取れなくなっていたりと、小さなトラブルはいくつかあったものの、それ以外は大きな被害は免れたようでひとまずはホッとした。

隣の御霊神社では、去年10月の台風でも境内の大木が倒れる被害があったけれど、今回もお稲荷さんのそばの大きな木が倒れてしまっていた。絵馬堂も水浸し、他にもたくさんの木の枝が折れてしまったようで、なんとも言えない気分だ。

そんな何とも落ち着かない気分のまま、明日は福岡に飛んで、明後日からはアートフェアアジア福岡2018が始まる。アートフェアの会期と台風が重ならなかっただけでも、個人的にはよかったと思うことにしよう。

***

すだれが1枚だけ屋根にひっかかって残っている図。

a0123573_02054012.jpg

出窓のガラスがずれた。

a0123573_02055580.jpg

御霊神社。見づらいけれど、大きな木が倒れている。

a0123573_02060431.jpg

御霊神社の絵馬堂は水浸しだった。

a0123573_02061362.jpg

by hrd-aki | 2018-09-06 02:19 | 雑感

『日本人にとって美しさとは何か』とは何か

子供とチャンバラ遊びをするためにダンボールと新聞紙で刀をつくっていたときに、押入れの中から2015年12月の京都新聞が出てきた。約2年前の新聞にはどんなことが載ってるのかな、とパラパラと見ていたら、書評欄みたいなところに高階秀爾の記事があったので、切り抜いて、あとで読んでみた。

そしてがっかりした。

a0123573_04322558.jpg

高階秀爾の『日本人にとって美しさとは何か』という著書を紹介するための記事で、その本を僕は読んでいない。だからその本の内容についてはこの記事から判断するしかなく、この記事がその本に関するすべてを言い尽くしているわけではないだろうということも理解しているのだけれど、買って読んでみようという気はゼロになってしまったのでそのことを検証する機会もたぶんこれから先訪れることはないだろうという気がする。

「日本人の美意識は細やかで柔軟。西洋とは違う、独特のものです」という高階氏の言葉が記事の冒頭で紹介されている。これがこの『日本人にとっては美しさとは何か』という本の基調をなす考え方なのだとすると、日本人には四季を愛でる繊細な感性があって、世界の中でも独自の美を生み出してきた、という使い古されたクリシェに乗っかっただけの、まともに取り上げるに値しない粗雑な論考だということに、残念ながらなってしまうだろう。

「季節のうつろいを楽しむ感覚、余白や不完全なものを美しいと思う心。こうした美意識は〈中略〉日本文化全体の根底を流れている」という言葉が記事の中に出てくる。これは高階氏の言葉ではないが、こうした「美意識」が、しかし、日本文化全体の根底を流れているという仮説にはいくらでも反証を挙げることが可能だし(例えば「洛中洛外図」や平安の「源氏物語絵巻」あたりは「余白を美しいと思う心」の発露などかけらも見えない)、それが日本以外の国や国民には全く存在しないということも単純にありえない(不完全なものを美しいと思う心は、古くはレンブラント、新しくはサイ・トゥオンブリーあたりを見れば西欧文化にも存在していることはすぐにわかる)。

四季があるのも日本だけではないし、その四季のうつろいに美を見出して芸術の中で表現してきたのももちろん世界の中で日本人だけではない。日本では古くから中国の漢詩が基礎教養として位置づけられてきたわけだが、漢詩にももちろん季節感を表現したものは多くあり、それが和歌や俳句の世界にも引き継がれていることは疑いの余地がない。西洋美術を見ても、ブリューゲルの冬景色などは繊細で美しいし、アルチンボルドもミュシャも四季をテーマにした作品を残している。日本美術の表現と違うからといって、ヨーロッパの画家たちが四季を愛でる心を持っていなかったなどと断じることはできない。逆に浮世絵版画の大首絵などには季節感を感じさせるものは(当たり前だが)ほとんどない。

記事の中で特に大きく紹介されているのが、江戸末期から明治初期に西洋絵画導入の先駆けとなった司馬江漢や高橋由一らの「和製油画」(高階氏の造語らしい)だ。西洋の油彩画の模倣をしようとしたのだが、そこに日本的なものが巧まず無意識のうちに入り込んでしまって、日本独自の油彩表現が生まれた、という分析なのだが、これにしても日本以外のアジア諸国における油彩の導入との比較なしに「日本は独特」と決めつけてしまうのは無理があるだろう。

確かに、東アジアにおいては日本がいち早く西欧文化を取り入れた近代化に成功し、その後軍事的にも経済的にもアジアに進出し植民地化も進めたので、中国や朝鮮半島における西洋文化・西洋美術の受容の一部は日本というフィルターを通したものであったという側面は否定できないし、そのせいで日本と他のアジア諸国との間にフラットな比較が成り立ちにくいというのも事実ではある。しかし、そうであればこそ、日本が文化的に独特でユニークである、したがって西洋絵画の受容のあり方も独特でユニークであった、という主張については、大きな留保マークを付けておかなければならないのではないだろうか。歴史政治的な要因と文化的な要因を混同してはならない。

少なくともこの記事から読み取る限り、この本には「アジアの一部としての日本」という視点が完全に欠落している。西洋対日本という軸だけが存在していて、その他の国々や人々はすべて捨象されている。そしてその「日本」にはおそらく沖縄や奄美、そしてアイヌも含まれてはいない。ここ最近この社会に蔓延している「日本すごい」の自国礼賛、自己満足の軽薄さだけが色濃く漂っている。

翻って考えてみれば、モネの絵画を見て「フランス人独自の美意識」と呼んだり、ミケランジェロの彫刻を前にして「完璧さを追求するイタリア人ならでは感性」などと分析することなどありえないではないか(イタリア人が完璧主義者だって?!)。なぜ日本文化を取り上げるときに限って「日本的」とか「日本独自の」とかいう国民国家的な形容をつけなければ気が済まないのだろうか。しかも同じ日本人の表現の中に細かい差異を読み取ることができるはずの我々日本人自身が。

文化や芸術の面白さは、人が生み出した(そして生み出している)ものだということだろう。生まれ育った環境や自然や生活文化や時代背景の影響はもちろん否定できないが、もしもそれらが全てを規定するのだとしたら、同じ時代の同じ場所からは全く同じ表現しか生まれないということになってしまう。

日本の風土や自然に根ざした「日本的」な美意識や感性が存在することは否定しない。美術史家がやらなければならないのは、その存在をアプリオリな前提として「西洋とは違う、独特のものです」などとシンプルな二項対立を設定して自国礼賛を煽り立てることではなく、なぜそのような美意識や感性が生まれたのかを深く掘り下げ、比較分析し、微細な現象の在り様を解き明かしていくことなのではないか。と、午前4時過ぎの粗雑な思考で考えている。

by hrd-aki | 2018-01-30 04:59 | 雑感

共謀罪法案に反対します

HRDファインアートの代表である原田明和は、共謀罪法案に反対する。

様々な犯罪を計画準備段階で摘発できるようにするという法律で、政権与党(自民党・公明党)は「テロ等準備罪法案」などと呼称しているが、その実体はテロ対策などでは決してない。真の目的は心の自由を取り締まることにある。

対象となる法律には著作権法や商標法、意匠法なども含まれており、パロディやパスティーシュ(模倣)、アプロプリエーション(流用)などに代表されるようなアートの表現手法が大きく制約を受ける危険性がある。また組織的犯罪処罰法の「組織的な信用毀損・業務妨害」も対象になっているが、これによって特定の企業や団体、政党などを批判したり風刺したりする社会的な芸術表現も制約を受けることになる。

問題は、こうした行為を実際に行わなくても、それを共同で準備したことが犯罪と見なされ処罰の対象となるということだ。運用の恣意性も排除されていない。このことの検閲的・圧迫的な心理効果は重大だ。

こと現代美術に限らず、芸術と呼ばれるものにはすべて「これまでとは違う新しい見方や考え方を提示する」という機能・役割が備わっている。本質的に均質を嫌い、「違う」ことを是とするためにともすれば論争を巻き起こし反感を招くこともある芸術表現は、むしろだからこそ存在価値があるのだ。そうした機能・役割に制限をかければ、芸術はその存在意義を失ってあっという間に社会から姿を消してしまうだろう。

芸術を失い多様性を失った社会は、果たして魅力的な社会と言えるだろうか? 再び言おう。HRDファインアートの代表・原田明和は、個人として、共謀罪法案に反対する。

a0123573_03450692.jpg

by hrd-aki | 2017-06-15 03:54 | 雑感

『現代絵画』

古本屋で「保育社カラーブックス」シリーズの『現代絵画』を見つけた。著者は高階秀爾(このブログではだいぶ前に『ルネッサンスの光と闇』という本のことを取り上げたことがある)。

カラーブックスのシリーズは、動物や植物なんかのテーマ巻が子供の頃家に何冊かあったし、図書館にもずらりと並んでいた記憶があり、その装丁(ビニールカバーがかかっている)もなんとなくなつかしくて100円で購入した。マティスの表紙もビビッドでいい(ビニールカバーは破れていたので取って捨てた)。

a0123573_15020143.jpg


「カラーブックス」という名前の印象とは裏腹にカラー図版は案外少なくて、モノクロと半々くらい。カラーページとモノクロページが見開きで交互に出てくる構成になっている。初版1964年という時代を考えると、それでも当時としては十分に破格の出版物だったのかもしれない。

a0123573_15020714.jpg


取り上げられているのは、当然ながら1964年時点での「現代絵画」なので、19世紀末から20世紀初頭にかけてのヨーロッパ美術、ナビ派からフォーヴ、シュルレアリスムといったあたりから、最新でもポロックやロスコなどのアメリカ抽象表現主義までといった範囲で、今イメージする「現代絵画」や「現代美術」とはかけ離れている。そもそも表紙からしてマティスだし、そのあたりの「現代」の変化にも思いを巡らせるとちょっと面白いし、一般向けに書かれているとはいえ20世紀美術を改めて概観するのにはちょうどいいボリューム感だった。

そして、この本で一番びっくりしたのが、著者紹介のページ。写真の高階さんがものすごく若いのはさておき、「現住所」がマンションの部屋番号まで堂々と載っているのにはたまげた(部屋番号には念のためモザイク、意味ないと思うけど)。この当時はそういうものだったのかもしれないし、美術史家の自宅に押しかけたり、「なんでデュシャンの図版がカラーじゃないんだ!」とカミソリを送りつけたりする人もそんなにたくさんはいないとは思うけれど、著者の個人情報をこんなふうに出版物にさらけ出してしまうというのは今だったらとても考えられない。こんなところにも時代の変化は表れているなあ、と、本の内容とは全然関係のない感慨を抱いてしまったのだった。

a0123573_15021264.jpg
by hrd-aki | 2017-02-18 15:19 | 雑感

名前のこと

どれくらい前のことだったか、そしてそれが新聞だったのか雑誌だったのかも今となっては覚えていないけれど、日本在住のユダヤ系アメリカ人でスティーブンと名乗る人物の読者投稿にこんなことが書いてあった。

自分の名前(ファーストネーム)はStephenと書いて「スティーブン」と読む(実はこれはあまり知られていないけど英語圏では普通の話)。それが、どこかの新聞か何かのインタビューか何かで自分が紹介されたときに、名前が「ステファン」とドイツ風に表記されていた。これは自分にとって屈辱以外のなにものでもない。自分の祖先は第二次大戦時にユダヤ迫害を逃れてフランスからアメリカに渡ってきた。そのユダヤ迫害・虐殺の犯人であるドイツ人と同じ読み方で自分の名前が呼ばれるなんて、決して許すことはできない! 強く抗議したい!

……と、まあ、なんというかものすごく頭が悪くてかわいそうになってしまったわけだけど、まず第一に「ステファン」はフランス語読みであってドイツ語読みではない。ドイツ語なら「シュテファン」。つづりもStefanになる。そのぐらいの基礎知識もなくてよくこんな主張ができたものだと思った。

もちろん、自分の名前が正確に表記されないのはちょっと悲しいことなので(僕も小学生の頃は自分の名前を「あきかず」と正しく読んでもらえる確率はすごく低くて、いつも「かずあき」と呼ばれて、それでも訂正するのが面倒くさくて「はい」と答えてたなあ、と思い出した)、それを難じること自体は別に構わないとは思うけど、それならそれで「私の名前はスティーブンです、ステファンではありませんから間違えないでください」とだけ関係者に要請すればそれで済む話なのではないか?

個人的にドイツやドイツ人が嫌いならそれも仕方ないかなとは思う。家族史に刻み込まれた苦難の記憶はそう簡単には消せないだろう。しかし、ドイツ人であること、あるいはドイツ風の名前を持っていることとユダヤ迫害との間には(少なくとも現在においては)本質的なつながりはない。そんなこと言い出したらジューイッシュはアディダスの製品なんか一切使えなくなっちゃう(アディダスの創業者はナチスの領袖と同じファーストネームの持ち主、アドルフ・ダスラー。「アディダス」の社名はアドルフの愛称アディとダスラーのダスをくっつけたものだから、スティーブン某氏の論理を借りればナチスドイツそのものの名前ということになる)。この主張なら、そもそもドイツ系と混同されてしまうような名前をつけた自分の親を詛うべきだろう。

ナチス関係の名前ついでで思い出したので昔話をもうひとつ。高校の英語の授業で『アンネの日記』の一節(もちろん英語訳の抜粋)が教科書に載っていた。補助教材の音声テープでは、アンネの名前(Anne Frank)を女性ナレーターが英語風に「アン・フランク」と発音している。それを聞いた英語教師が、「『アン』っていうのが正しい読み方なんだな、『アンネ』っていうのは間違いなんだな」と得意気に言っているのを聞いて、いや、それは英語読みだから、アンネはオランダ人だからオランダ語の発音で「アンネ」でいいんだから、それヨソで言うなよ恥ずかしいから、と内心苦々しく思ったものだった。

現在HRDファインアートで開催中の二人展の展示作家のうちのひとり、「冬耳」は、もちろんアーティストネームで、読み方は「ふゆじ」です。「ふゆみみ」と読む人が案外多いようなので、念のため。

http://www.hrdfineart.com/exb-yami16.html
by hrd-aki | 2016-04-11 12:33 | 雑感

PRAY FOR KOREA?

アートに関係ないことをあまり続けて投稿するのは気が引けるのだが、韓国ではこれまでたくさん仕事をさせてもらってきたし、今でも韓国にはたくさんの友人がいる。国として(国家として)好きかと言われるとやや答えをためらうけれど、韓国の人たちは大好きだし、韓国の食べ物も大好きだ。だから敢えて書いておこうと思うのだけれど(日本語だからどこまで伝わるかわからないし、伝わらなかったらそれでもかまわないのだが)、「PRAY FOR KOREA」というスローガンはやめたほうがいい。

パリでのテロ事件に対して、犠牲者との連帯を示す「PRAY FOR PARIS」というスローガンがネット上にあふれている。それと偶然時期を同じくして韓国ソウルで起きた反政府・労働組合系のデモ隊と警察機動隊との衝突、それによって負傷者が出たことに対して「PRAY FOR KOREA」というスローガンが韓国人の友人の間でたくさん共有されているのを目にした。

しかしこれははっきり言ってどこかズレている。だからやめたほうがいい。

現政権への批判から歯止めが利かずに暴走したデモ隊に対して、警察権力がさらに上を行く暴力的な実力行使に出たこと自体は憂うべき事態だし、公権力が市民の生命を危機にさらしたことは非難されてしかるべきだろうとは思う。しかしそれは決して「祈り」にはつながらないと思うのだ。

「PARIS」がテロ攻撃の対象として傷ついた人々を象徴するキャッチワードになっており、そしてそれが(パリという都市だって決して一枚岩ではない、ということは承知の上で)一定の論理性を持っていることにはそれほど疑いの余地はない。それに対して、「KOREA」は決してそういう存在ではない。ここでは、攻撃した側も攻撃を受けた側もどちらも「KOREA」であり、我こそが「KOREA」であることを主張しているからだ。だから衝突が起こった。デモ隊が退陣を要求した朴大統領も間違いなく「KOREA」の一部であって、それだけでもすでにこのスローガンは論理的に大破綻している。それに、どちらか一方が理性的に行動しさえすれば簡単に防ぎ得た事態に対して、外部の人間は憐れみや驚きは感じこそすれ、祈りや連帯感の行き場などどこにもない。

大変失礼ながら、「PRAY FOR KOREA」には、たまたま時を同じくして世界を駆け巡った「PRAY FOR PARIS」の安っぽいパロディみたいな響きさえある。

自分の国のことは敢えて棚に上げておいて言うのだが、韓国の大統領は選挙で選ばれている。デモ隊を暴力的に鎮圧する大統領も数年前に選挙で選ばれた。そして、今回のような「ソウル市庁舎前広場放水銃事件」は、これまでも何度も何度も、誰が大統領であっても、繰り返されてきたことだということを思い出す必要がある。

「私たちは酷い目に遭っている!」と犠牲者を気取るのではなく、そろそろ自分たちが変わる・変えることを考えたほうがいい。あなたが使うべきスローガンは「PRAY FOR KOREA」ではなくて「CHANGE KOREA」であるべきなのだ。

自戒を込めて。
by hrd-aki | 2015-11-15 23:44 | 雑感