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京都・鞍馬口の現代美術ギャラリーHRD FINE ART(www.hrdfineart.com)のディレクターによるアート関係諸々ブログ。時にはアートと無関係な話題もあります。気が向いたら更新。
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カテゴリ:雑感( 47 )

新型コロナウイルスについて

今回のブログはアートとは全く関係のないテーマ、といっても我々人類全員の生命や生活に大きな影響を及ぼしているという意味でも、また文化芸術にまつわる経済活動にも深刻な影響を与えているという意味でも、アートと密接な関係性を帯びているテーマ、すなわち新型コロナウイルスについて、興味深い動画を見つけたのでその内容を紹介しようと思う(Facebookの投稿を加筆修正)。

You Need To Listen To This Leading COVID-19 Expert From South Korea | ASIAN BOSS
新型コロナウイルスについて_a0123573_02595982.jpg

この動画はAsian Bossというウェブメディアが発表したもので、韓国のコロナウイルス対応で中心的な役割を担っている高麗大学九老病院のキム・ウジュ医師にインタビューしたもの。英語字幕つきで、非常にわかりやすく重要な情報が整理されている。詳しくはリンク先の動画をご覧いただきたいが、以下にキム医師の見解や提示されたデータの一部を抜粋して紹介する。

***

・3/24日時点で、韓国国内の感染者数は累計8,961人。そのうち死者111人、回復した人が3,166人。

・感染者のうち約20%が無症状。しかし無症状者でも他人にウイルスを感染させる可能性がある。

・死亡率を年齢別に見ると、

  80代以上:11.6%

  70代:6.3%
 
 60代:1.5%
 
 50代:0.4%
 
 40代:0.1%
 
 30代:0.1%

  20代以下:0%

・死者のうち90%が60歳以上。40代と30代の死者はそれぞれ1人だけ。20代以下の死者はいない。ただし感染者の30%が20代。

・高齢者に死者が多いのは、加齢とともに免疫システムが弱くなるため。

・いったん回復してから数日後に再度症状が現れるケースもある。

・熱、喉の痛み、咳、呼吸困難の症状がある人は全員がPCRテストを受診すべきである。

・疲労感、食欲減退、全身の軽い痛みがある場合もPCRテストを受けたほうがよい。

・感染者の30%に味覚・嗅覚の喪失という症状があり、これが5〜10日間続く。これはCOVID-19に特徴的な症状。

・無症状者でも自己負担(17万ウォン=17,000円ほど)でPCRテストを受けることができる。ただし陽性だった場合には国がその費用を負担する。

・韓国では1日15,000件のPCRテストを実施している。3/23時点で累計338,000件のテストを実施した。

・海外からの帰国者に感染者が多く見られるようになっているので、3/22からヨーロッパからの入国者は空港でのPCRテストが義務づけられている。実際、感染者の20%を海外からの入国者が占めている。

・PCRテストを受け、陽性が判明した場合、重症者は入院、軽症者・無症状者は保健センターに入所。陰性の場合は自宅で2週間の自己隔離に入る。自己隔離者は専用のアプリを使用し、GPSによる位置追跡の対象となるほか、体調の記録・報告をアプリで行う。

・感染経路は主に3つ。飛沫感染、接触感染(身体的接触)、間接的接触感染(物を媒介)。テーブルの上などではウイルスは数日間生存し、感染する。密閉空間で大人数がしゃべったり歌ったり食事をしたりすると、エアロゾル感染の可能性もある。

・マスクの着用は予防に効果的。

・小中高校は新学期の開始が延期された。だが、塾は90%が開いているので、特に高校生は塾通いをやめていない。そこから感染が広がる危険性がある。

・対応策はワクチン、治療薬の開発(既存の医薬品の新規薬効の発見)、そして血清。

・まとめ:諸外国は韓国の事例に学び、また韓国でうまく行かなかった点を修正し、より良い戦略を見出してほしい。これはサイエンスである。サイエンスは謙虚でなければならない。謙虚さを失うことは敗北を意味する。欧米は自信過剰だったのではないか。我々は最後まで謙虚でなければならない。

***

ここで示されている知見、特に最後にキム医師が述べたことが世界的に共有されることによって、一日も早くこの危機を人類全体が克服し、社会生活が正常に復帰し、そして文化や芸術にまつわる活動も以前と同じように、あるいは以前よりも活発に行われるようになることを祈りたい。

by hrd-aki | 2020-03-30 02:55 | 雑感

TQとJQ

昨年12月に台湾の高雄でアートフェアに出展したときに通訳としてお手伝いしてくれたLさんからは、台湾にまつわる様々なことを教えてもらって勉強になったのだが、そのひとつが「TQ」という言葉だ。「Taiwan Quality」の頭文字を取ったもので、台湾人らしい気質の表れた、いい加減で適当な対応や態度、習慣などを自嘲気味に表現した言葉で、一種のネット用語なのかもしれない。韓国でも、即断即決でせっかちな社会風潮を「Korean Style」と呼ぶ人がいるけれど、それと似たような感覚だろう。逆に綿密できっきりとした物事の運び方や対応を「JQ」と呼んだりするらしい。こちらは「Japan Quality」の略だ。

高雄に数日間滞在して、確かにいろいろと「緩い」対応を目にし、体験することはあった。例えば、レストランに食事に行こうとアートフェアの会場からタクシーに乗ったときのこと。走り出したタクシーが何やら横道にそれたかと思うと、なんとガソリンスタンドに入っていくのだ。客を拾ってから給油をするタクシーというのは日本では(よほどの長距離でない限り)なかなかお目にかかれないだろう。

かき氷の屋台も面白かった。そのお店には「午後3時からオープン」と張り紙がある。行ったときはまだ2時にもなっていなかった。開店まで1時間以上ある。アートフェアの会場に戻らないとならないので、そんなに待つわけにはいかない。ところが、Lさんに隣の麺屋さんのおばさんに聞いてもらうと、「2時には開くよ」と言う。そして果たして、間もなくかき氷屋の店主のおばさんがやってきてせっせと準備を始め、本当に2時には僕たちもおいしいかき氷にありつくことができた。

行きたいと思った海鮮のお店が2日連続で閉まっていて(「臨時休業」などの掲示は一切なし)、結局行けずじまいだったという、逆のパターンもあった。

台湾の人に言わせると、同じ台湾の中でも地域差があって(まあ当たり前だ)、南部にある高雄の人々は北部の台北などの人々と比べると土着的な気質が強い、ということもあるらしい。よりTQ的な雰囲気が強いと言い換えてもいいのかもしれない。こちらがひとときの旅行者にすぎないからなのか、あるいは温暖な気候でこちらも気分がオープンになっていたせいなのか、「TQ」に直面しても、面白いとは思ったものの、特に腹が立ったりイライラしたりはしなかった。もちろん人によっては我慢がならないということもあるのかもしれないが、少なくとも僕個人は嫌な気分にはならなかった。

日本的な「きっちり」「几帳面」、言うなれば「JQ」は、それが実際に日本人の全体的な気質と呼ぶことができるものなのかどうかは疑わしくもあるけれど、すでに国際的にも「日本のイメージ」の共通認識として受け入れられている感がある。「日本は/日本人はきっちりしていなければならない」という無言の規範として、日本社会全体を圧迫しているようにすら思う(これは現代アートにも言えることなのだけれど、ここではやや脱線になるので深入りはしないでおこう)。

日本もよく知るLさんが「これもTQですね」と言うとき、そこには自国文化に対する自嘲や、海外からの客人に対する自己弁護的なエクスキューズももちろん含まれるのだろう。しかしそれ以上に僕が感じたのは、TQ的なものを笑って許す余裕、度量の大きさのようなものだった。「まあ別にいいじゃない」と思えば、ピリピリと無駄に神経をすり減らすこともない。怒ってネガティブな気分になることもない。そして、ネガティブな気分よりもポジティブな気分のほうが、生み出せるものははるかに大きいし、きっと美しい。

日本が空港のトイレの清潔さを自慢するようになったのはいつ頃からなのだろうか。人間や社会が費やせるエネルギーの総量は決まっているはずだ。きれいなトイレとか、秒単位で正確な鉄道の運行とか、絶対に休まないコンビニとか、そんなことに過剰なエネルギーを注ぎ込んでいるうちに、もっと大事なことに注ぎ込むべきエネルギーが削り取られて足りなくなってしまう。そうやってJQを追求した末にたどり着いたのが、今の日本社会の閉塞感なのではないか。

ないものねだりなのかもしれないし、隣の芝生が青く見えるだけの話なのかもしれないが、台湾・高雄の夜市ででかい牡蠣を肴に紹興酒のグラスを傾けながら、そんなことを考えていたのだった。

***

TQとJQ_a0123573_02571493.jpg

TQとJQ_a0123573_02574131.jpg
餅やタピオカなど具だくさんのかき氷。うまい。

TQとJQ_a0123573_02574711.jpg
結局行けなかった海鮮のお店。

TQとJQ_a0123573_02575342.jpg
おまけ。TQな(?)ストリートアート。すごい。かなり良い。


by hrd-aki | 2020-01-09 03:09 | 雑感

タイトル考

美術館の現代美術の展覧会のタイトルについて。「英語タイトル+日本語サブタイトル」みたいなのが最近すごく多い。ように思う。翻訳もやってる人間として、最近ちょっと気になっている。

一種の流行りなんだろうけど、その日本語サブタイトルには多くの場合英訳はつけられてない。ってことは、日本語読めない海外の人がその日本語のサブタイトル見たら「英語タイトルの日本語訳」だと思う、と思うんだよね。でも実際はそれぞれ全然違う言葉で、「英語タイトル+日本語サブタイトル」でひとつのタイトルみたいになってる。

具体例を挙げると角が立つのですごく適当なたとえを挙げると、「Apple is Sweet:これからの時代の彫刻」みたいな感じ。英語タイトルと日本語タイトルが違う内容になっちゃってて、両方が理解できないと内容が伝わらない(この例だとどっちにしても伝わらないんだけど)。Apple is Sweetしか理解できない人にとっては、彫刻の展覧会であることさえタイトルからはわからない。

歌のタイトルとかじゃなくて研究発表としての意味もある展覧会のタイトルなんだから、音の響きよりも言葉の意味を大切にしてほしい。上の例で言うなら「リンゴは甘い:これからの時代の彫刻」でいいじゃないですか。それを英訳して「Apple is Sweet: Sculpture for the New Era」とかすればいいわけで。日英をわざわざ同居させてわざわざわかりづらくする意味がわからない。

まあ、かなりどうでもいいことではある。しかし「リンゴは甘い:これからの時代の彫刻」って、もしかしたら結構いいタイトルかもしれない。いつか使ってみよう。リンゴの彫刻の展覧会に。

by hrd-aki | 2019-12-26 04:47 | 雑感

「アート高雄2019」御礼

先週、HRDファインアートは台湾・高雄で開催されたアートフェア「アート高雄 Art Kaohsiung 2019」に参加出展した。ソウルのギャラリーSpace O'NewWallとの共同出展のプロジェクト「HRD+ONW」として、韓国人アーティスト3名(キム・ヒョンジョン、キム・ユンソプ、チェ・ジェヨン)と日本人アーティスト4名(白河ノリヨリ、寺島みどり、栗原亜也子、田中加織)の作品を展示した。

HRDファインアートとしては、海外のアートフェア出展は2013年の同フェア以来6年ぶりのことだったが、Space O'NewWallのソ・ジュノ代表とスタッフのカン・サンフン氏、そして非常に有能な台湾人通訳スタッフ、そしてもちろん出品作家の皆さんなど、多くの方々のご協力により実りあるフェア出展となった。この場を借りて御礼申し上げたい。また、ご来場くださった皆様、作品をご購入くださった皆様にも改めて御礼申し上げたい。

***

会期中、高雄はずっと穏やかな好天に恵まれ、とても快適に過ごすことができた。ところで、「高雄(たかお)」という街の名前にはちょっと面白い、というか複雑な歴史があるらしい。

もともとこの土地は先住民マカタウ族の言葉で「竹林」を意味する「ターカウ」と呼ばれていた。これに、読みの近い「打狗」という漢字が当てられたのが清朝による統治時代。つまり「打狗=ターカウ」だ。時は流れ、台湾は日本の統治下に入る。すると、「打狗」という地名が「犬を打つ」という意味でイメージが悪いということになり、台湾総督府が「ターカウ」に読みの近い日本語の「高雄」という漢字を当てることを決定する。ここで初めて「高雄=タカオ」になったのだ。

戦後、中華民国の支配下に入った後も「高雄」の当て字は継承され、その中国語読みであるKaohsiung(カオション)が都市名として定着した、という流れになるようだ。幾重にも重なり合った台湾の歴史の複雑さを感じさせられる。と同時に、20世紀前半に日本がアジア諸国に残した様々な影響についても思いを巡らさざるを得なくなる。

ちなみに「打狗」という文字はこの街の古名・愛称として今でも使われることがあるようで、市内でもいくつかの場所で目にすることがあった。

その後、高雄は重工業地帯としての発展の歴史を経て、現在は文化・アートの街としての振興に力を入れている。アート高雄の会場であるホテル「City Suites - Kaohsiung Chenai」のあるPier 2(第2埠頭)エリアも、港湾施設を再利用したアートスポットが数多く立ち並ぶちょっとおしゃれなエリアになっている。

***

ということで、「HRD+ONW」のブースの展示の様子を少し写真でご紹介しておこう。

「アート高雄2019」御礼_a0123573_03544458.jpg

「アート高雄2019」御礼_a0123573_03533050.jpg

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by hrd-aki | 2019-12-23 04:02 | 雑感

「アートフェアアジア福岡2019」に参加して考えたこと

昨年に続いて今年も、福岡で開催されたアートフェア「アートフェアアジア福岡」に出展した。昨年同様、ソウルのSpace O'NewWallとのジョイントで、「HRD+ONW」としての参加だった(詳しくはこちらを参照)が、多くの方々に熱心に作品をご覧いただき、良い出会いもたくさんあり、様々な反応や感想にも触れることができた、忙しくも楽しく充実した3日間となった。

今回が5回目の開催となる「アートフェアアジア福岡」。アジア各国とのアクセスの良さでは日本の中でも屈指の福岡という都市で開催されるアートフェアで、「アジア」と銘打つこともあり、アジアの様々なギャラリーやアーティストが出展・出品していることを期待してしまうのだけれど、今回は日本以外のアジアの国からの出展ギャラリーはHRD+ONWを含めても6軒にとどまっていた(ソウル2、台湾2、香港1、シンガポール1)。

昨年も決して数は多くはなかったけれど、ここまで少なくはなかったと思う。これには様々な要素が絡んでいるのだろうけれども、日本がアートにおいてもマーケットとしての魅力を失いつつあるのではないかと思うとやはり寂しい。あるいはすでにそれは失われてしまって久しいのかもしれないのだが。

そして、韓国からの出展画廊が2軒にとどまったというのは、やはり昨今の日韓関係のこじれとも無関係とは言えないだろう。現に、Space O'NewWallのディレクターのソ・ジュノがフェイスブックに今回の福岡への出展について投稿すると、日本のアートフェアに参加したことを非難するようなコメントが(少数とはいえ)いくつか付いたというから、これは深刻な事態なのだ。日本製品の不買運動なども起こっている状況下で、そのようなポーズを取ることがあるひとつの社会的アピールになっているという部分もあるにせよ。

とはいえ、HRD+ONWのブースで実際に作品をご覧いただいた方々からは、ネガティブな反応は(少なくとも表立っては)全く、ひとつとしてなかったことは明記しておきたい。今回、Space O'NewWallの作家として3名の画家(キム・ヒョンジョン、キム・ユンソプ、チャン・コウン)の作品を展示したが、それぞれ作品や作家に対する関心も高く、好意的な反応がたくさんあり、販売に至った作品もあった。当たり前といえば当たり前なのだけれど、政治的な対立があろうがなかろうが、アート作品の質が変わるわけではない。そんな当たり前のことを当たり前に実感することができたのが、今回の最大の収穫だったのかもしれない。

会期初日、某全国紙の記者の方に簡単な取材を受けた。こういう状況で、韓国から日本にやってきて展示をすることについてどう感じているか、という質問に対して、ジュノは「政治的なこととは関係なく、アートを通じて両国の交流を深めることに貢献できれば」というような答えを返していた。

このインタビューはどうやら記事にはならなかったようだけれど、その「貢献」は、今回の出展を通じてある程度果たすことができたのではないかと思っている。そしてそれを可能にしてくれた、ご来場の観客の皆さん、作品を出品してくれた日韓の作家の皆さん、そしてもちろんフェア事務局の皆さんに、この場を借りて改めて感謝を申し上げたい。

***

作品展示の様子をいくつかご紹介。

「アートフェアアジア福岡2019」に参加して考えたこと_a0123573_02113837.jpg

「アートフェアアジア福岡2019」に参加して考えたこと_a0123573_02113826.jpg

「アートフェアアジア福岡2019」に参加して考えたこと_a0123573_02113842.jpg

最後に記念撮影。左から筆者、Space O'NewWallディレクターのソ・ジュノ氏、同スタッフのカン・サンフン氏。

「アートフェアアジア福岡2019」に参加して考えたこと_a0123573_02113805.jpg

by hrd-aki | 2019-09-13 02:26 | 雑感

タクシードライバー・イン・ソウル (2)

数年前に「タクシードライバー・イン・ソウル」という記事でソウルのタクシードライバーと政治談義(?)をした話を書いた。今回はその続き、というわけではないけれど、ソウルのタクシードライバーの話、第2弾。

7月頭のソウル出張では、タクシーに2回乗った。日本に比べると料金が圧倒的に安いので(大体3分の1くらい)、躊躇せずに乗ってしまう。そしてその2回とも、乗客が日本人だと知った運転手と会話を(ほぼ韓国語で)かわすことになった。これは日本のタクシーでもそうだけど、乗客と話をするのが好きな人もいるし、そうでない人もいる。ひたすらにラジオを聴いてるだけの無口な運転手ももちろんいる。今回はたまたま2回が2回とも話好きな人に当たった、ということだろう。

最初は滞在2日目、マポでカンジャンケジャンの昼食をとってからいったんホテルに戻るために乗ったタクシー。このタクシーのドライバーはこれまでに会ったことがないようなタイプのとても不思議な人で、こちらが日本人だとわかると「オレは韓国が嫌いでね。日本人はいい!」と日本をべた褒めし始めた。お世辞なんだろうと思って、こっちも「でも僕は韓国好きですよ」と返すと、「いや、韓国は悪い。韓国人は嘘が得意だ。日本人は嘘をつかないでしょう」と、これまた事実誤認いっぱいの日本称賛のオンパレードになってしまった。もちろんこれ全部韓国語での会話。

たとえお世辞9割だったとしても、自分の国が褒められるのは悪い気はしない(以前にも「日本人は頭が良い、世界で一番頭が良い」と繰り返すドライバーのタクシーに乗ったことがある)。でも、この人はちょっと度が過ぎているように思えた。生活など、いろいろ苦しい思いをしているのかもしれない。社会に対する不満を抱えているのかもしれない。あとになって、もしかすると脱北者なのかもしれないな、などとも想像を逞しくしたりもした。

もちろん実際のところ、何が彼をしてそのように自国嫌いを外国人に吐露させることになったのかはわからないけれど、こっちとしては「そうですねえ、韓国ダメですねえ」と話を合わせるわけにもいかないし、それ以降はあまり会話は弾まなかった。降りるときも笑顔で、とても親切なドライバーさんだったのだが、何か深い闇を心に抱えているのかもしれない。

その翌日、イテウォンで夕食をとってからホテルのある東大門まで帰るために乗ったタクシーでは、まず「え、もう帰っちゃうの(ホテルに戻っちゃうの)?」というドライバーのちょっとした冗談から会話が始まった。イテウォンは今ではソウルでも有数の眠らないナイトライフの街。しかも金曜の夜、まだ10時頃だったので、これからが盛り上がる時間なのにもったいない、という軽口だ。

数秒間考えてやっとそのジョークが理解できたので、同行者に日本語で説明していたら、「日本人ですか?」となり、「東京から?」「いえ、僕は大阪から、この人(同行者)は名古屋から」「大阪は韓国人に人気があるよ、韓国人がたくさん行ってるよね」といった感じで、会話はいろいろな話題に及んだ。「日本人の客を乗せることは多いですか?」と訊くと、「多いよ!」と即答。ソウルにはカジノが4カ所あって、日本人もよく訪れるとか、韓国人も遊べるのは江原道のカジノだけだとか、自分は大阪と東京に行ったことがあって、日本が好きだとか(「寿司、刺身、ラーメン」)、北海道も韓国人に人気があるとか(最初「プッケド」と言われて一瞬何のことかわからなかったけど、頭の中で発音を漢字に置き換えてようやく理解できた)。前日のドライバーとは違って、あくまでも陽気でサービス精神に富んだ人だった。運転はすさまじく荒かったけれど。

片言ではあっても韓国語で会話ができると、こういうふうに普通に生活している人の普通の声を知ることができるのがとてもありがたい。いま日韓関係(というか政府間関係)がギクシャクしていているけれど(というか日本側が一方的に駄々をこねてるだけだけど)、こういう実体験の実感があるので「まあ、どうってことないよ」と思えるし、これからも日本と韓国をアートでつなぐ仕事をしっかりやっていかなきゃなと思うのだ。

***

写真はマポの有名店で食べたカンジャンケジャン(ワタリガニの醤油漬け)と、カフェで食べた超甘いピンス(かき氷)。

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by hrd-aki | 2019-08-07 15:00 | 雑感

火車頭トーマス

今日は京都と大阪でたくさん電車に乗った。

京都地下鉄では、国際会館で何かイベントでもあったとみえて車内はスシ詰めの満員。京都のセラミック的な会社の社章バッジをつけたスーツ姿の男がちらほら見えたので、京都のセラミック的な会社の関連の何かがあったのかもしれない。そのうちのひとり、いい年したおっさんが満員の車内にもかかわらず中途半端なポジショニングでシートの2人分のスペースを占拠し続けていた。京都のセラミック的な会社の金ピカのバッジを光らせてても、スマホ2台使いこなしてても、それじゃ人間としてダメだ。よっぽど一声かけようかと思ったけどセラミックで殴られたら痛そうなのでやめておいた。

そしてJR環状線もかなりの混雑。大学生とおぼしき若い男二人がシートに座っていて、赤ちゃんを抱っこして立っている若い母親と「赤ちゃんかわいい」とかなんとか談笑している。男二人は馬鹿面でずっと座ったまま。赤ちゃんの母親はずっと立ちっぱなし。しかもそばには赤ちゃんの祖父母とおぼしき老夫婦も立っている。でもとにかく若い男二人は座ったまま。ひとりは足まで組んでる。

何駅目かでその男二人の横に座っていた中年女性が降りて席が空き、赤ちゃんと母親が座れるかなと思ったその瞬間、僕の隣に立っていたドラッグクイーン(あるいはドラッグクイーン風のおばさん)がシャコのパンチなみの素早さでそのスペースに飛び込んできて着席、すぐに寝たふりを始めてしまった。

数駅後、大阪城公園で馬鹿者、もとい若者二人は降りていった。最後まで「自分たちが席を譲ったほうがいいのかもしれない」という想像は働かなかったようだ。ドラッグクイーン(もしくはドラッグクイーン風のおばさん)のほうはほんとに疲れてそうだったし、マスカラもひどい状態だったので、まあ仕方ない。

いろいろひどすぎて気分が悪いので自宅に帰って缶ビールを3本も開けてしまった。日本っていつからこんな国になっちゃったんですかね。前から?

あ、タイトルの「火車頭トーマス」というのは香港のテレビで見た「きかんしゃトーマス」の広東語タイトル。同じ漢字を使っていても言語が違うので違和感があるのは当たり前だけど、それにしても「火車頭」という語感は日本語的にはちょっとすごい。本文の内容とはほとんど関係ありません、あしからず。

by hrd-aki | 2019-04-13 23:56 | 雑感

配達にまつわる絶妙なタイミング

昨日の出来事。

Amazonで買ったプリンタインクカートリッジの再配達を午前中の時間指定で依頼して八尾の自宅で仕事しながら待っていたら、11時55分くらいに携帯が鳴った。出てみると佐川のドライバーで、「いまお宅の前に来てるんですけど、ご不在ですよね? 呼び鈴鳴らしたけど出られないので」という。いや、家にいるけどベル鳴ってないよな、呼び鈴壊れたのかな、それに不在票入れてたのは佐川じゃなかったよな、おかしいな。

と思いながらも「ベル鳴ってないですけど、今いますよ、出ますね」と答えて電話を切り、玄関のほうにいくと「ピンポン」とベルが鳴る。

なんだ、ベルが壊れてたわけじゃないんだ、と思いつつドアを開けて出てみると、やはりAmazonの配達で、佐川ではない別の配送業者さん。どうしてさっきは「佐川です」って言ったのかな、佐川の下請もやってて間違えたのかな、しかもこのドライバーさんの声は電話の声と明らかに違う気がするよな、などといろいろ不思議に思いながら荷物を受け取り、部屋に戻るとまた携帯が鳴る。さっきの佐川のドライバーさんの番号だ。

あれ? あっ……そうか!

ここでようやく状況が理解できた。佐川が荷物を届けに来ていたのは今いる自宅ではなく京都のギャラリーのほうだったのだ。来週20日からの展覧会の展示作品が今日の配達日指定で発送されていたのだけれど、今日は京都には行けないので配達日変更の手続きをしなければならない、ということをすっかり忘れていた。佐川は京都のギャラリーのほうに配達に来て、指定の配達日なのに誰もいないので携帯に確認の電話をしてきた。それを僕が八尾の自宅のAmazonの再配達の連絡だと勝手に思い込み、勝手に混乱してしまったというわけだ。

「京都のほうですよね、勘違いしてました、『いる』って言いましたけど、今日はいません、別の日で再配達お願いします」とあわてて佐川のドライバーさんに伝えて電話を切った。

佐川ドライバー氏も「何言ってんだこの人、大丈夫か?」と思っただろうけど、こっちもあまりの絶妙なタイミングでの出来事に現実と非現実のBoundaryを越えてパラレルワールドに迷い込んでしまったかのような気分だった。今でもなんだかちょっと気持ち悪い。

配達にまつわる絶妙なタイミング_a0123573_13111504.jpg

***

というわけで、次回展覧会「Boundaries」は4月20日(土)から。ぜひご覧ください。

by hrd-aki | 2019-04-12 13:22 | 雑感

ジェビ襲来

日本各地に大きな被害をもたらした台風21号(国際名は「Jebi/ジェビ」)。台風一過の今日、ギャラリーの様子を確認するために自宅のある八尾から京都・鞍馬口までを一般道で車で走ってみた。いつもと同じように、行きは主に国道2号線と国道1号線、帰りは国道1号線のバイパスと国道2号線を通るルート。

昨日は自宅のそばでもケヤキや桜やヒマラヤスギやエンジュの木が何本もなぎ倒されて、改めて強風の威力のすさまじさを思い知らされていたところだったけれど、今日の道中でもたくさんの木が根元からひっくり返り、枝が折れ、そして作業員の方々がチェーンソーで倒木の撤去を急いでいる光景をいくつも目にした。ちらっと通りかかった淀川(大川?)の水位も見たことのない高さになっていたし、枚方のあたりでは信号がことごとくおかしな方向を向いていて、警察官が交通整理をしている交差点もいくつかあった。途中でいくつか立ち寄ったコンビニでは、お弁当やおにぎり、サンドイッチなどが全て消えていて「台風の影響で商品の配送ができていません」というような張り紙が掲示されている店舗や、おそらく停電で温度管理ができなくなったためだろう、アイスやドリンクのコーナーがほぼ空っぽになっている店舗もあった。

で、鞍馬口のギャラリーはというと、2階の窓につけているすだれが1枚を残してすべて吹き飛んだり落下していたり(1枚はおそらくご近所の方が回収して近くに置いておいてくれていた、ありがとうございます)、出窓のガラス窓が外れて中に押し込まれていたり、あと停電のせいで冷凍庫の氷がいったん溶けてまた固まって取れなくなっていたりと、小さなトラブルはいくつかあったものの、それ以外は大きな被害は免れたようでひとまずはホッとした。

隣の御霊神社では、去年10月の台風でも境内の大木が倒れる被害があったけれど、今回もお稲荷さんのそばの大きな木が倒れてしまっていた。絵馬堂も水浸し、他にもたくさんの木の枝が折れてしまったようで、なんとも言えない気分だ。

そんな何とも落ち着かない気分のまま、明日は福岡に飛んで、明後日からはアートフェアアジア福岡2018が始まる。アートフェアの会期と台風が重ならなかっただけでも、個人的にはよかったと思うことにしよう。

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すだれが1枚だけ屋根にひっかかって残っている図。

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出窓のガラスがずれた。

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御霊神社。見づらいけれど、大きな木が倒れている。

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御霊神社の絵馬堂は水浸しだった。

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by hrd-aki | 2018-09-06 02:19 | 雑感

『日本人にとって美しさとは何か』とは何か

子供とチャンバラ遊びをするためにダンボールと新聞紙で刀をつくっていたときに、押入れの中から2015年12月の京都新聞が出てきた。約2年前の新聞にはどんなことが載ってるのかな、とパラパラと見ていたら、書評欄みたいなところに高階秀爾の記事があったので、切り抜いて、あとで読んでみた。

そしてがっかりした。

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高階秀爾の『日本人にとって美しさとは何か』という著書を紹介するための記事で、その本を僕は読んでいない。だからその本の内容についてはこの記事から判断するしかなく、この記事がその本に関するすべてを言い尽くしているわけではないだろうということも理解しているのだけれど、買って読んでみようという気はゼロになってしまったのでそのことを検証する機会もたぶんこれから先訪れることはないだろうという気がする。

「日本人の美意識は細やかで柔軟。西洋とは違う、独特のものです」という高階氏の言葉が記事の冒頭で紹介されている。これがこの『日本人にとっては美しさとは何か』という本の基調をなす考え方なのだとすると、日本人には四季を愛でる繊細な感性があって、世界の中でも独自の美を生み出してきた、という使い古されたクリシェに乗っかっただけの、まともに取り上げるに値しない粗雑な論考だということに、残念ながらなってしまうだろう。

「季節のうつろいを楽しむ感覚、余白や不完全なものを美しいと思う心。こうした美意識は〈中略〉日本文化全体の根底を流れている」という言葉が記事の中に出てくる。これは高階氏の言葉ではないが、こうした「美意識」が、しかし、日本文化全体の根底を流れているという仮説にはいくらでも反証を挙げることが可能だし(例えば「洛中洛外図」や平安の「源氏物語絵巻」あたりは「余白を美しいと思う心」の発露などかけらも見えない)、それが日本以外の国や国民には全く存在しないということも単純にありえない(不完全なものを美しいと思う心は、古くはレンブラント、新しくはサイ・トゥオンブリーあたりを見れば西欧文化にも存在していることはすぐにわかる)。

四季があるのも日本だけではないし、その四季のうつろいに美を見出して芸術の中で表現してきたのももちろん世界の中で日本人だけではない。日本では古くから中国の漢詩が基礎教養として位置づけられてきたわけだが、漢詩にももちろん季節感を表現したものは多くあり、それが和歌や俳句の世界にも引き継がれていることは疑いの余地がない。西洋美術を見ても、ブリューゲルの冬景色などは繊細で美しいし、アルチンボルドもミュシャも四季をテーマにした作品を残している。日本美術の表現と違うからといって、ヨーロッパの画家たちが四季を愛でる心を持っていなかったなどと断じることはできない。逆に浮世絵版画の大首絵などには季節感を感じさせるものは(当たり前だが)ほとんどない。

記事の中で特に大きく紹介されているのが、江戸末期から明治初期に西洋絵画導入の先駆けとなった司馬江漢や高橋由一らの「和製油画」(高階氏の造語らしい)だ。西洋の油彩画の模倣をしようとしたのだが、そこに日本的なものが巧まず無意識のうちに入り込んでしまって、日本独自の油彩表現が生まれた、という分析なのだが、これにしても日本以外のアジア諸国における油彩の導入との比較なしに「日本は独特」と決めつけてしまうのは無理があるだろう。

確かに、東アジアにおいては日本がいち早く西欧文化を取り入れた近代化に成功し、その後軍事的にも経済的にもアジアに進出し植民地化も進めたので、中国や朝鮮半島における西洋文化・西洋美術の受容の一部は日本というフィルターを通したものであったという側面は否定できないし、そのせいで日本と他のアジア諸国との間にフラットな比較が成り立ちにくいというのも事実ではある。しかし、そうであればこそ、日本が文化的に独特でユニークである、したがって西洋絵画の受容のあり方も独特でユニークであった、という主張については、大きな留保マークを付けておかなければならないのではないだろうか。歴史政治的な要因と文化的な要因を混同してはならない。

少なくともこの記事から読み取る限り、この本には「アジアの一部としての日本」という視点が完全に欠落している。西洋対日本という軸だけが存在していて、その他の国々や人々はすべて捨象されている。そしてその「日本」にはおそらく沖縄や奄美、そしてアイヌも含まれてはいない。ここ最近この社会に蔓延している「日本すごい」の自国礼賛、自己満足の軽薄さだけが色濃く漂っている。

翻って考えてみれば、モネの絵画を見て「フランス人独自の美意識」と呼んだり、ミケランジェロの彫刻を前にして「完璧さを追求するイタリア人ならでは感性」などと分析することなどありえないではないか(イタリア人が完璧主義者だって?!)。なぜ日本文化を取り上げるときに限って「日本的」とか「日本独自の」とかいう国民国家的な形容をつけなければ気が済まないのだろうか。しかも同じ日本人の表現の中に細かい差異を読み取ることができるはずの我々日本人自身が。

文化や芸術の面白さは、人が生み出した(そして生み出している)ものだということだろう。生まれ育った環境や自然や生活文化や時代背景の影響はもちろん否定できないが、もしもそれらが全てを規定するのだとしたら、同じ時代の同じ場所からは全く同じ表現しか生まれないということになってしまう。

日本の風土や自然に根ざした「日本的」な美意識や感性が存在することは否定しない。美術史家がやらなければならないのは、その存在をアプリオリな前提として「西洋とは違う、独特のものです」などとシンプルな二項対立を設定して自国礼賛を煽り立てることではなく、なぜそのような美意識や感性が生まれたのかを深く掘り下げ、比較分析し、微細な現象の在り様を解き明かしていくことなのではないか。と、午前4時過ぎの粗雑な思考で考えている。

by hrd-aki | 2018-01-30 04:59 | 雑感