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京都・鞍馬口の現代美術ギャラリーHRD FINE ART(www.hrdfineart.com)のディレクターによるアート関係諸々ブログ。時にはアートと無関係な話題もあります。気が向いたら更新。
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『ルネッサンスの光と闇』(2)

高階秀爾著『ルネッサンスの光と闇』から、今回はまた別の部分を引用してみる。「第十章 考える人」の冒頭から――。

***

すでに見たように、かつて中世においては人間の四つの気質の中で最も望ましくないと考えられていた憂鬱質を、創造的人間の特質として逆に高く評価するよう価値の基準を引っくり返したのは、カレッジのアカデミアの哲学者たち、——もっと端的に言えばマルシリオ・フィチーノそのひとであった。

……〈略〉……

つまり、憂鬱質は、非活動的で現実の生活には適さないが、その代り、時には常人の及びもつかない優れた創造を成し遂げるというわけである。現実の生活には無頓着、ないしは無能力で、いつも孤独を好み、世間からは変人あつかいされながら見事な作品を作って行く人間というロマン派好みの芸術家像の原型は、この時に作られたのである。

***

この段は西洋中世の人間分類法である「四性論」について述べている部分で、人間の気質を4タイプ、すなわち「多血質=サングィネウス」、「胆汁質=コレリクス」、「粘液質=フレンティマクス」、そして「憂鬱質=メランコリクス」の4タイプに分類するのが四性論の考え方なのだが、ここでは本の中で詳しく述べられている説明を繰り返すことは控える。いずれにしても「憂鬱質」という本来「最低最悪」のタイプが、芸術においては至高の人間型として高く評価されうるという価値の転換がルネサンスの時代に行われた、ということが詳しく解説されている。

芸術家には「現実の生活には無頓着」であってほしい、というある種の希望的理想は、現在にいたるまで根強く厳然と存在している。もちろん日本では、それは西洋近代文明を摂取しはじめた明治以降の現象のはずだ(それまでの日本には絵師や摺師などの「職人」はいても、創造的人間としての「芸術家」は位置づけそのものがなかったと思われるからだ)。

そして、現代の日本においては、この「ロマン派好みの芸術家像」、もっと端的に言えば「社会不適格者としての芸術家像」は、様々なプロジェクトやアートイベントの実施においてじつに都合良く援用されているのではないだろうかと思う。一般社会では常識的に整備されている報酬や利益還元のシステムも、こと芸術家相手には別に考える必要はないんだよね、なぜなら彼らは世の中の常識から外れたところにいる特殊な存在なのだから、通常の価値観にはめ込んで金銭を絡ませるなんてかえって失礼じゃないか、彼らはカネのために活動してるんじゃないんだよ——といった具合に。そして、そのような特別扱いを心地よく受け入れて疑問を抱かない「芸術家」も今の日本には数多くいるのではないか、というのが僕の実感だ。それが良いとも悪いともここで言うつもりはないけれど。
by hrd-aki | 2010-11-15 01:21 | 雑感

『ルネッサンスの光と闇』

最近、『ルネッサンスの光と闇』という本を読み直した。美術史学科の学生の頃にゼミのテーマとの関連で読んで以来だから、もう15年くらいぶりの再読ということになる。著者は高階秀爾。

久しぶりに手に取ったこの本の中に、現代の美術を考える上でも示唆に富んだ部分がいくつかあったので、ここに少し引用してみたい。こういう本を読むと、コンテポラリーアートだのコンセプトだの何だのと言っても、美術史を繙けば本当に新しいことなんかほとんどこれっぽっちもないのだということに気付かされたりする。

まずは「第六章 華麗なる保護者」から。ルネサンス文化の中心として華やかなイメージを持たれている都市国家フィレンツェが、実際には芸術家たちにとっては決して居心地の良い場所ではなく、フィレンツェ出身であってもこの地にとどまって制作を続けた芸術家は多くない、ということが論じられている。以下引用(年代などの漢数字は算用数字に変えた)。

***

15世紀後半において、フィレンツェで最も優れた工房は、ヴェロッキオとポライウォーロ兄弟のそれであったが、ヴェロッキオの傑作はピストイアとヴェネツィアで生まれ、ポライウォーロの最大の傑作はローマで作られた。レオナルドも、ミケランジェロも、ラファエルロも、フィレンツェの育て上げた天才たちでありながら、ミラノやローマにおいてその天才にふさわしい活躍ぶりを見せた。まことにこれらフィレンツェの子たちは、ヴァザーリの言う通り、「町を去って作品を売」り、それによってフィレンツェの「町の名声を広く世界に伝えた」のである。

……〈略〉……

もちろん、ロレンツォ(デ・メディチ、豪華王)が芸術家たちを各地に送り出したのを「追放」と見るのはいささか酷であろう。彼にとっては、芸術家たちは邪魔者であったわけではなく、やはり必要な存在であった。しかしそれは、優れた作品を生み出させるためではなく、フィレンツェ芸術の高い名声を利用してミラノやローマやナポリなどと強固で円滑な友好関係を保つための外交手段として必要な存在であった。ロレンツォはミラノの僣主や教皇にとってトスカナ芸術の魅力がいかに大きなものであるかを十二分に心得ていた点において、たしかに「芸術の理解者」であった。しかし彼自身は「芸術愛好家」であるよりもまず「政治家」だったのである。

……〈略〉……

しかし、といってフィレンツェの衰退をすべてロレンツォのせいにしてしまうわけにもいかない。メディチ家に対する政治的陰謀や、フランス王シャルル8世のイタリア侵攻を別としても、芸術の趣味の領域において、フィレンツェそのもののなかに、桁はずれに大きな創造的芸術家を受け入れないものがあったこともまたたしかだからである。世紀の明けそめた1401年、サン・ジョヴァンニ洗礼堂北側の門扉のために行われた有名なコンクールで最後まで争ったブルネレスキとギベルティの二人のうち、結局最後にギベルティが勝者に選ばれたという事実に端的に示されているように、そもそもフィレンツェ人たちの趣味は、劇的で表現力の強いものよりも、繊細優美で工芸的なものを好んだ。……〈略〉……フィレンツェ人の趣味がそうであるなら、たとえロレンツォがいなくても、遅かれ早かれ芸術家たちはフィレンツェを見捨てたであろう。事実、ロレンツォの死後も芸術家の国外流出は続くのである。

***

600年以上も前のイタリアの話なのに、どこか今の日本の芸術政策の貧困を憂えた文章にも聞こえてはこないだろうか? もちろん細部を見ていけば全然状況は異なるけれど、「桁はずれに大きな創造的芸術家を受け入れない」などと言われると、思わず自分の胸に手を当てて深く反省したくなったりもする。

http://www.amazon.co.jp/ルネッサンスの光と闇―芸術と精神風土-中公文庫-高階-秀爾/dp/4122014166
by hrd-aki | 2010-11-10 23:57 | 雑感

田中朝子展「rooms」

白い紙に白いインクの盛り上げ印刷で真っ白な展覧会DMが届いた田中朝子の個展「rooms」(大阪・ギャラリーノマルにて)。

世の中に氾濫するイメージのズレや隙間に「おかしさ」(funnyとstrangeの両方)を見つけて、それを作品化していく作家・田中朝子。もともと版画から出発している作家だが、そこから写真、さらにはオブジェやインスタレーションへと表現を展開してきている。今回の展示は展覧会タイトルの示す通りギャラリー空間そのものをひとつの間取り図に見立て、そこに含まれる様々な要素やそこから連想されるものたちを視覚化して並べていた。

空間インスタレーションと呼んでもいいような三次元的な構成なのに、「平面作品」の展示を見たような印象だったのは、まさに「間取り図」という平面を立体に起こすことがそもそも意図されていたからだろうし、反復とか複写とか転写といった「版」の表現との関連性がほとんどの作品に見られるからだろうとも思う。なんとなく「ドラえもん」のひみつ道具「立体コピー紙」を思い出した。そういえば作品のひとつには「どこでもドア」からの引用で「wherever window」(どこでも窓)というシリーズ名がつけられている。

無印良品のソファを70%に縮小した作品なんかも面白いけれど、個人的には「いちご模様」という作品がとても気になっている。

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彼女にはソウルのHyun Galleryでのグループ展「余韻/響き〜日本の写真作家3人展」(2009年)に参加してもらった。その展示の詳細はこちらから。

***

田中朝子展「rooms」
http://www.nomart.co.jp/index.html
※展示は11月13日まで
by hrd-aki | 2010-11-10 22:51 | レポート

「BOOK ART 2010 Japan-Korea」

大阪のギャラリーヤマグチクンストバウで開催していた「BOOK ART 2010 Japan-Korea」という展示を、最終日のクローズ直前に見に行ってきた。

すぐ近くのサントリー美術館で、「ポーランドの至宝」という、美術館展なのに26日間しか会期がないという展覧会もついでに見ようと思って行ったのだが、サントリー美術館ではいまだかつて見たことのないものすごい数の人が押し寄せて行列をつくっていて、「チケット購入20分待ち」という立て看板を見て展覧会も見る気が失せた、という脱線はこのぐらいにしておいて、昨年ソウルのHyun Galleryで開催した「余韻/響き」というグループ展に出品してもらった田中朝子など、知った作家が何人か参加していたので見に行ったわけだが、こちらはもちろん行列なんかできていなくて静かな展示だった。

今年夏から、ソウル、東京、大阪と3会場を巡回するグループ展で、日韓両国の現代美術作家がブックアート作品を出品している。作品は、かなりストレートに本の形式を意識した作品、本を形態的・物体的側面から捉えた作品から、本とは全く無関係に見える解釈逸脱系の作品まで、幅広い。書き物机に模した展示台に乗る大きさの(つまりは比較的小さなサイズの)作品ばかり、というのが共通項と言えるだろうか。

入口のところで白手袋をはめて作品にじかに手に触れ、(ページのあるものは)ページをめくって鑑賞する、というのが正しい見方だったのだが、そういう仕組みに最初気がつかなかったのと、あとはただ単に面倒くさくて、置いてある作品を眺めたり覗き込んだりしていた。それでも十分に面白さの伝わる作品はあったし、へ理屈のようになってしまうけれど、「本」に手を触れずに「読む」ということがあってもいいのではないか?

大竹伸朗のスクラップブックも1冊展示してある。と思ってよく見たら野原健司という別の作家の作品だった。まあ形式的に似てしまうところの出やすい作品ではある。そう思って見渡すと、すべての作品がどこか別のところで見たことがあるように見えてくる既視感の強い展覧会でもあった。

※展示はすでに終了している。
http://www.g-yamaguchi.com/exhibition/bookart/bookart.html
by hrd-aki | 2010-11-03 00:39 | レポート

〈DEMADO PROJECT〉コレクション展示:渡邉多美子

ウィンドウギャラリー〈DEMADO PROJECT〉では現在、コレクション展示として渡邉多美子の写真作品「同化するためのスーツ:アックジョン」を展示中。

鏡面状に磨き上げた小さなスチール片でウロコのように全身を覆ったボディスーツを着て、いろいろな場所で風景に「同化」を試みるというプロジェクトのシリーズ作品で、これはソウルの繁華街アックジョン、ギャラリアデパートの前で「同化」しているもの。デパートの壁面いっぱいに広がるカラフルな電飾デコレーション(?)と、夜の街の光を反射するボディスーツが一種異様な光景を生み出している。

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このスーツが外界のイメージをすべて反射するように、僕たちの視線もあらゆるものの表面で跳ね返され拒絶されているのではないだろうか? そしてそれを「理解」と名付けているにすぎないのではないか?

***

アーティスト渡邉多美子について
http://www.hrdfineart.com/art-watanabe.html
by hrd-aki | 2010-11-02 23:51 | ギャラリー