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京都・鞍馬口の現代美術ギャラリーHRD FINE ART(www.hrdfineart.com)のディレクターによるアート関係諸々ブログ。時にはアートと無関係な話題もあります。気が向いたら更新。
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「POINT」展の展示風景

京都芸術センターの日韓交流展「POINT」から、展示風景の写真をいくつか。

「POINT」展の展示風景_a0123573_17435775.jpg
Ahn Doojin(アン・ドゥジン)の作品。
右奥はAhn Kanghyun(アン・カンヒョン)の映像インスタレーション。

「POINT」展の展示風景_a0123573_17502840.jpg
奥がMoon Sungsik(ムン・ソンシク)の絵画作品。
手前の長い木の箱は橋本聡の作品の一部。

***

「POINT」展ウェブサイト
http://point2009.blogspot.com/
# by hrd-aki | 2010-01-12 18:11 | レポート

「POINT」展のトークイベント

京都芸術センターにて「POINT - 日韓若手アーティスト・批評家交流展覧会」のオープニング。アーティストとキュレーターによるトークイベントに参加してきた。

この展覧会は韓国ソウルのオルタナティブスペースLOOPと、韓国国立現代美術館運営のアーティストインレジデンス施設チャンドン(倉洞)スタジオによる共同企画で、2008年にLOOPで開催された展示の京都巡回バージョン的な性格を持っている。日韓3人ずつ計6名の参加アーティストの顔ぶれは2008年のソウル展と変わらず、LOOPがビデオやメディア系の展示を得意としているために1名のペインターを除いてはすべて映像/インスタレーションの作家だった。

少し時間に遅れてしまったのでトークイベントの最初のところは聞き逃してしまったが、個々の作品についての言及よりも展覧会の枠組み(この展覧会には統一的なコンセプトやテーマ性が欠如していることの問題など)や、クロスクリティック(日本の作家の作品を韓国の批評家が論じ、韓国のアーティストについて日本の批評家が評論し、図録に記録を残す)についての話が多かった。それらの論点は示唆的で、いろいろ考えながら聞いていた。

ひとつは例えば、「アート」における「グローバル」の意味は何なのか、ということ。
LOOPのディレクター、ソ・ジンソク氏の話す「POINT」プロジェクトの狙いのひとつは、クロスクリティックを通じて、自国の文化や歴史の中だけでしか通用しないディスコースを越えて、別の国や文化のディスコースを意識することで若手アーティストをグローバルな地点に立たせる、ということであった。
その際に語られる「グローバル」とは一体何か? 国際性ということであれば日韓の交流はそのための出発点は提供するだろうが、それが「全地球的」な広がりを担保はしない。そもそも「グローバル」という概念自体が幻想に過ぎないことは経済や政治の領域ではさんざん指摘されていることだ(グローバル・スタンダードは実はアメリカン・スタンダードである、云々)。
真の普遍性とは多様性の集積であると個人的には思うし、そこには「ローカル」と「パーソナル」に向けた視点が決して欠かせないのではないかと考えている。ロンドンとニューヨークのアートスクールで学んだ日本人アーティストがグローバルな視点を備えている、というのは全くのミスリードであって、彼/彼女はロンドンとニューヨークでアートを学んだ日本人としてのパーソナルな立ち位置を持つ、ということしか意味しないはずなのだ。それ以外にも彼/彼女が持つ様々な個人的な属性が複雑に絡み合ってその作品世界を成立させているはずであって、そこに「グローバル」という形容を与えることにはある種の欺瞞、あるいは怠惰を感じる。

展覧会というフォーマットが必然的に要請する諸々の物理的な制約(作品の運送、移動コストなどなど)によって、「疑似(ミニ)グローバル環境」を生み出すことが困難になるのだとしたら(例えば日本・アルゼンチンの交流展は日韓交流展に比べてはるかに困難の度合いが高いだろう)、展覧会以外の手段、例えば出版やシンポジウムなどによってその目的はより効率的に果たされるのではないか、という論点も提出されていた。インターネットもその有効なプラットフォームになりうるだろう。
その一方で、展覧会において作品そのものと向き合うというフィジカルな「体験」の意味についても、常に問い直していく必要があるだろう。

今回、韓国からやってきたアーティストとキュレーターたちは、作品の設営と準備、オープニングだけでほぼすべての日程が埋まってしまい、京都の街を見てその文化に触れる時間的余裕はほとんどなかったらしい。それでも自国以外の場所で展示を行うことの価値が削がれるわけではないが、しかしそれにしても非常にもったいないことではある。


「POINT」展のトークイベント_a0123573_1123126.jpg

***

「POINT」展は1月24日まで開催。

「POINT」展ウェブサイト
http://point2009.blogspot.com/
# by hrd-aki | 2010-01-11 01:18 | レポート

謹賀新年

あけましておめでとうございます。
旧年中は格別のご高配を賜り、厚く御礼申し上げます。
本年も何卒よろしくお願い申し上げます。

ブログも出来る限り更新していくつもりですので、よろしくお願いいたします。

謹賀新年_a0123573_0411738.jpg
# by hrd-aki | 2010-01-02 00:42 | 雑感

「料理中華」展(と本格水餃子)

京都精華大学ギャラリーフロールにて開催中の「料理中華」展のオープニングレセプションに行ってきた。「中華料理」ではなく「料理中華」。
中華圏・中国語圏出身で、日本に滞在し、学び、生活を続けている作家たちによるグループ展。北京や天津、福州などメインランド・チャイナに加えて、マレーシア出身のアーティストも「チャイニーズ・アーティスト」として参加している。精華大学の映像コースの留学生が中心となって組織した展覧会ということもあり、映像やインスタレーション、インタラクティブ型の作品展示が中心だった。

参加アーティストは、水都大阪でも映像インスタレーションを発表していた「新視角」のメンバーでもある呉鴻(Wu Hong)、また先日見た写真のグループ展「窓の表面」展にも参加していたマレーシアの陳維錚(Tan Juichen)など7名。それぞれに、決して既視感のある「中国的」という括りにははまらないような(これは写真や絵画の展示がほとんどなかったこととも関係があるだろう)、しかしそれでいて日本人のアーティストとは異なる身体感覚や視覚言語を備えた表現で興味深いものだった。

それ以上に、中国語、あるいは中国語文化を共有するという意味での「チャイニーズ」という枠で「在日外国人」(この言葉が朝鮮半島出身者を強く想起させる政治性を帯びているとするならば、「滞日外国人」)のグループをつくり、作品を展示するという展覧会そのものが刺激的な試みだと思う。面白い文化論的言説がここから生まれてくるのではないだろうか。

「華僑」「華人」という呼び名が示し、また世界中のあらゆる大都市の「中華街」の存在からも容易に理解されるように、中国人はそのコミュニティを全世界に広げ、同時に常に強い連帯によって固有の文化を守り継承し続けている。強固なルーツの存在とそれに対する意識と、異文化に交わりその中で同化して生きて行くということ。このふたつの相反する要素がアートの表現にもたらすものは何なのか。個人として生きているということと、(言語圏、国、都市、年代、出身校など)様々なレベルのコミュニティの中に所属しているということは、作品発表の中でどのように咀嚼され、整理されているのか。また外部からの視点はそれらの「政治的」な要素にどれだけ左右されているのか。

福岡アジア美術トリエンナーレの項でも書いたように、アーティストが自分自身のバックグラウンドをどこまで自覚的に作品制作に取り入れているかという問題と、作品を鑑賞し受け取る側がアーティストのバックグラウンドと作品そのものとをどの程度結びつけて把握するかという問題は、似ているように見えて全く違う地平にある。それは単なる批評性の問題にもとどまらない。

オープニングレセプションでふるまわれた手づくりの非常に美味な水餃子を食べているときはそんなことは思いもしなかったけれど、本来エスニックな「本格」水餃子も「日本」の食文化の一部として当たり前においしく食べられる「日本人」は、この微妙な論点に対してアプローチするのにふさわしい、歴史的・文化的に便利な立ち位置にいるのではないか、とふと思ったりしている。

***

「料理中華」展(と本格水餃子)_a0123573_21502282.jpg
参加アーティストによる、中華鍋や庖丁、ミキサーなどを使ったサウンドパフォーマンス。「中華料理」に対するオマージュ、またはセルフパロディ?

「料理中華」展(と本格水餃子)_a0123573_2149031.jpg
Tan Juichenの作品展示。

***

「料理中華」展は年末年始の休みを挟んで1月5日から9日までの開催。

「料理中華」展のウェブサイト
http://project-noa.com/cac/
# by hrd-aki | 2009-12-28 22:08 | レポート

極細かりんとう風イルミネーション

大阪・御堂筋のイチョウ並木のイルミネーションが始まった。特にわざわざ見に行ったわけではないけれど、ちょうど近くに用事があったので目にすることができた。

大阪府の橋本知事の大号令で始まったというこのプロジェクト。人を集めて盛り上げて大阪の景気を良くしようという動機は大いに買うべきだと思うけれど、どうにも「美しくない」のが気になった。ニュース映像で見ていても思わず笑ってしまったのだけれど、実際にその場に立って見ても滑稽な印象は拭えなかった。
イチョウの木の幹だけにLEDを絡みつけているから、光る棒がひょろひょろと立ち並んでいるようにしか見えない。普通、並木を活かしてイルミネーションをつくる場合には枝も使って広がりと奥行きを持たせるようにするものだと思うけれど(少なくとも僕がこれまで見てきたものでは例外なくそうだった)、イチョウの木の場合にはそれが技術的に難しかったのか、あるいは別の積極的な(美的な、デザイン的な)理由があってこうしたのか。ニュースで聞いた限りでは、イチョウ並木の効果的なイルミネーションについて1年間研究した結果がコレだというけれど、それが本当だとしたら「美しくできないからやらない」という結論もありだったのではないかと思う。

イチョウの幹は比較的まっすぐ上に向かって伸びるものだけれど、しかしそれでも自然の産物だから90度直立というわけにはいかない。太さもいろいろだし、曲がり方も不揃いだ。そこに「LEDの菰巻き」がぴったりと密着しているから、輪郭の不規則さが極端に目立つ。
オーガニックな感じがいいと言えばそうなのかもしれないが、しかしやはりそこに感じられるのは「木にLEDをくっつけて光らせました」という、工夫も愛情もない無粋さだけだ。僕はこういったイルミネーションは嫌いではないけれど、そんな僕でももう一度行って見たいとは思わないし、人を呼んで見せたいとも(ハナシのネタとして、ということを除けば)思えなかった。

こういったパブリックプロジェクトにこそ、アーティストの果たす役割があると思うのだけれど、水都大阪とかにはお呼びがかかっても御堂筋のイルミネーションには声がかからないのはなぜなのだろう? 御堂筋の土地の空気を汲み取り、より魅力的な空間へと変化させる演出のアイディアは、国内外問わずインスタレーションのアーティストに求めてきっと得られるものだろうし、それは企画として(話題性も含めて)より広がりを持つに違いない。

予算の問題はもちろんあるのだろう。でも、ニューヨークのセントラルパークのクリスト&ジャンヌクロードの旗プロジェクトなどのことを思うにつけ(実際に見たわけではないけれど)、この国のアート、及びアーティストの置かれた立場について思いを巡らさずにはいられなかった。

極細かりんとう風イルミネーション_a0123573_2265357.jpg

極細かりんとう風イルミネーション_a0123573_2271498.jpg
# by hrd-aki | 2009-12-16 02:29 | 雑感